『100mを速く走るゼミ』の報告
東京大学駒場キャンパスは、東京大学の入学試験に合格した全学生が2年間の前期課程教育を受けるキャンパスである。このキャンパスには、大学院総合文化研究科、教養学部専門課程(3,4年生)、教養学部前期課程(1,2年生)があり、専任教員は全員が大学院総合文化研究科の所属であり、大学院教員が、教養学部の前期課程、および専門課程を担当する3層構造と呼ばれる教育研究組織となっている。
大学院教員は、研究と教育を行うことが義務付けられている。「大学院所属の教員がなぜ、大学1,2年生の授業を担当するのか」という素朴な疑問に対して、「研究の最前線で活動している教員が直接1,2年生の授業を担当することが、大学に入学したばかりの若い新鮮な頭脳を持つ学生に良い影響を与える」という教育理念が説かれる。
その真意をたどると、「研究をしない大学教員の授業は、学生に対するインパクトが少ない」ということに通じる。大学紛争の時代には、古いノートを見ながら、毎年同じような講義を繰り返すマンネリ授業の教員は、教育への意欲がないということで批判の対象となった。
そのような背景があるので、私は、教務委員会に研究の成果をベースにした「全学自由研究ゼミナール」の授業名として、「100mを速く走るゼミ」の開講を提案した。
東京大学のゼミナールに、このような名称の授業を開講することには、いささか躊躇もあったが、思い切って提案することにした。教務委員会では、問題なく提案は採用され、むしろ新しい局面を切り開く面白いゼミとして評価されたようだ。
このゼミは、私の予測に反して大評判のゼミナールとなり、定員を大幅に超過する学生が受講した。1997年12月3日発行の学内広報誌「教養学部報」に、「100mを速く走るゼミ」の報告を行った。その内容は、以下のようなものであった。
日本人の短距離選手がカール・ルイスのような世界トップスプリンターと肩を並べて勝負することはできないものか。もし、オリンピックの100m決勝でのメダル争いに日本選手が一枚加わっていたら、きっと面白いほど興奮するに違いない。
いまや世界一流スプリンターは黒人選手ばかりであるが、これを遺伝的素質とばかり決めつけておくわけにはいかない。日本人でも知恵と努力と工夫をすれば、きっとなんとか糸口はつかめるはずである。
こうした大胆なチャレンジ精神から発想されたものが「スプリント・トレーニングマシン」である。このマシンは3年がかりで開発されたが、実は使いものになるまでに2台を鉄のスクラップにしている。一応の第1号機が完成したのが1995年夏であるから、もう2年以上が経過している。
この間に「スプリントマシン」はマスコミで大きな話題となり、テレビ、新聞、ラジオ、雑誌などでたびたび取材対象として取り上げられてきた。取材をお断りした例も十数件ある。
さて、このマシンを用いて全学自由研究ゼミナール「100mを速く走るゼミ」の開設を思いついたのは、現在進行中の先端研究の一端をリアルタイムで前期課程の学生に還元することができないかと考えたためである。それに、東京大学の学生にスポーツに対する自信を持ってほしいという気持ちもある。
世間一般の人の認識では、東京大学に入学する学生は、勉強はできてもスポーツは不得手ということのようである。ところが実際には、スポーツに対する潜在能力に優れた人が多いし、スポーツに対する関心も高いものがある。中学・高校時代に十分自分の能力を発揮するチャンスがなかっただけのことである。これからの時代は、スポーツはもっと重要な意義を持つようになる。
「速く走れる」ことは、ある種の自信につながるし、「足が遅い」ということは、何かしらスポーツに対して胸を張りにくい感情を心に抱かせるものである。
「足が速くなりたい」という素朴な欲求は、どうやら小学校以来の原点的なところから生じているようにも思われる。かくいう私自身も、「あの頃、もっと速く走れたら・・・」といった錯覚的心情をいまだに描いたりするぐらいなのである。
夏学期のゼミ開講初日には、20名募集のところ160名の受講希望者があり、実験室の予定を急遽グラウンドに場所替えしてガイダンスを実施した。「鈍足者歓迎」ということを唱えてしまった以上、抽選で受講生を選ぶことも心情にあわず、とりあえず自然淘汰という原則でそのまま第2週は教室でカール・ルイスの走法の分析ビデオを見た。大雨にもかかわらず、120名の参加があった。第3週には、ビデオカメラを陸上競技場(第1グラウンド)に10m間隔で並べて、一人ずつ100mを走りタイムを計測した。5限から始まった授業で50名が走り終わった時にはすでに5月の夕日が沈みかけていた。
コースに並べて撮影したビデオ映像から、各区間の走速度、ピッチ、ストライドを算出した。
第4週目から開始したトレーニングの内容は次のようなものであった。
①スプリント・トレーニングマシンによる走フォームの形成、②パワーマックスVによる自転車駆動発揮パワー15秒間3セット、③体幹筋力強化マシンでの筋力アップ、④30mダッシュ3本、他。
受講生が多いことに比較してマシンが少ないので、必ずしも十分な時間トレーニングすることはできなかった。しかし、トレーニング効果は見事に現れた。
5月と7月に実施した100m走の成績を比較すると、次の結果が得られた。数値は5月と7月に走った同一人物の比較で、男子40名、女子8名の平均値である
男子。5月13.99秒→7月13.53秒.0.478秒の短縮。多くの人が13秒台から12秒台へ、および14秒台から13秒台に台変わりした。
女子では、5月18. 73秒→7月17.61秒と1.125秒短縮した。
5月の男子総歩数は56.81、ピッチ4.065歩/秒、歩幅1.77m/歩であり、7月では総歩数54.98歩、ピッチ4.076歩/秒、歩幅1.82㎝/歩であった。女子では総歩数が68.20歩から64.18歩となり、ピッチは3.644歩/秒から3.647歩/秒と変化なかったが、歩幅は1.48㎝/歩から1.57㎝/歩に拡大した。
「走り方のコツ」(解説)
上体はほぼ垂直か、やや前傾気味に保つ。膝は前方に大腿が地面と水平になる高さまで振り上げる。この動作は反対足のキック力を強める効果と股関節の大きな動作範囲を生み出す。ただし、太ももの筋肉をリラックスさせて膝が高く上がることが大切。着地に向かって膝は伸ばされるが足裏で円の軌道をたどるように足を運び、着地は柔らかく円が地面に接する感じで行い、腰をその上に軽く乗せる。キックは円を回転させるように行う。
東京大学駒場キャンパスは、東京大学の入学試験に合格した全学生が2年間の前期課程教育を受けるキャンパスである。このキャンパスには、大学院総合文化研究科、教養学部専門課程(3,4年生)、教養学部前期課程(1,2年生)があり、専任教員は全員が大学院総合文化研究科の所属であり、大学院教員が、教養学部の前期課程、および専門課程を担当する3層構造と呼ばれる教育研究組織となっている。
大学院教員は、研究と教育を行うことが義務付けられている。「大学院所属の教員がなぜ、大学1,2年生の授業を担当するのか」という素朴な疑問に対して、「研究の最前線で活動している教員が直接1,2年生の授業を担当することが、大学に入学したばかりの若い新鮮な頭脳を持つ学生に良い影響を与える」という教育理念が説かれる。
その真意をたどると、「研究をしない大学教員の授業は、学生に対するインパクトが少ない」ということに通じる。大学紛争の時代には、古いノートを見ながら、毎年同じような講義を繰り返すマンネリ授業の教員は、教育への意欲がないということで批判の対象となった。
そのような背景があるので、私は、教務委員会に研究の成果をベースにした「全学自由研究ゼミナール」の授業名として、「100mを速く走るゼミ」の開講を提案した。
東京大学のゼミナールに、このような名称の授業を開講することには、いささか躊躇もあったが、思い切って提案することにした。教務委員会では、問題なく提案は採用され、むしろ新しい局面を切り開く面白いゼミとして評価されたようだ。
このゼミは、私の予測に反して大評判のゼミナールとなり、定員を大幅に超過する学生が受講した。1997年12月3日発行の学内広報誌「教養学部報」に、「100mを速く走るゼミ」の報告を行った。その内容は、以下のようなものであった。
日本人の短距離選手がカール・ルイスのような世界トップスプリンターと肩を並べて勝負することはできないものか。もし、オリンピックの100m決勝でのメダル争いに日本選手が一枚加わっていたら、きっと面白いほど興奮するに違いない。
いまや世界一流スプリンターは黒人選手ばかりであるが、これを遺伝的素質とばかり決めつけておくわけにはいかない。日本人でも知恵と努力と工夫をすれば、きっとなんとか糸口はつかめるはずである。
こうした大胆なチャレンジ精神から発想されたものが「スプリント・トレーニングマシン」である。このマシンは3年がかりで開発されたが、実は使いものになるまでに2台を鉄のスクラップにしている。一応の第1号機が完成したのが1995年夏であるから、もう2年以上が経過している。
この間に「スプリントマシン」はマスコミで大きな話題となり、テレビ、新聞、ラジオ、雑誌などでたびたび取材対象として取り上げられてきた。取材をお断りした例も十数件ある。
さて、このマシンを用いて全学自由研究ゼミナール「100mを速く走るゼミ」の開設を思いついたのは、現在進行中の先端研究の一端をリアルタイムで前期課程の学生に還元することができないかと考えたためである。それに、東京大学の学生にスポーツに対する自信を持ってほしいという気持ちもある。
世間一般の人の認識では、東京大学に入学する学生は、勉強はできてもスポーツは不得手ということのようである。ところが実際には、スポーツに対する潜在能力に優れた人が多いし、スポーツに対する関心も高いものがある。中学・高校時代に十分自分の能力を発揮するチャンスがなかっただけのことである。これからの時代は、スポーツはもっと重要な意義を持つようになる。
「速く走れる」ことは、ある種の自信につながるし、「足が遅い」ということは、何かしらスポーツに対して胸を張りにくい感情を心に抱かせるものである。
「足が速くなりたい」という素朴な欲求は、どうやら小学校以来の原点的なところから生じているようにも思われる。かくいう私自身も、「あの頃、もっと速く走れたら・・・」といった錯覚的心情をいまだに描いたりするぐらいなのである。
夏学期のゼミ開講初日には、20名募集のところ160名の受講希望者があり、実験室の予定を急遽グラウンドに場所替えしてガイダンスを実施した。「鈍足者歓迎」ということを唱えてしまった以上、抽選で受講生を選ぶことも心情にあわず、とりあえず自然淘汰という原則でそのまま第2週は教室でカール・ルイスの走法の分析ビデオを見た。大雨にもかかわらず、120名の参加があった。第3週には、ビデオカメラを陸上競技場(第1グラウンド)に10m間隔で並べて、一人ずつ100mを走りタイムを計測した。5限から始まった授業で50名が走り終わった時にはすでに5月の夕日が沈みかけていた。
コースに並べて撮影したビデオ映像から、各区間の走速度、ピッチ、ストライドを算出した。
第4週目から開始したトレーニングの内容は次のようなものであった。
①スプリント・トレーニングマシンによる走フォームの形成、②パワーマックスVによる自転車駆動発揮パワー15秒間3セット、③体幹筋力強化マシンでの筋力アップ、④30mダッシュ3本、他。
受講生が多いことに比較してマシンが少ないので、必ずしも十分な時間トレーニングすることはできなかった。しかし、トレーニング効果は見事に現れた。
5月と7月に実施した100m走の成績を比較すると、次の結果が得られた。数値は5月と7月に走った同一人物の比較で、男子40名、女子8名の平均値である
男子。5月13.99秒→7月13.53秒.0.478秒の短縮。多くの人が13秒台から12秒台へ、および14秒台から13秒台に台変わりした。
女子では、5月18. 73秒→7月17.61秒と1.125秒短縮した。
5月の男子総歩数は56.81、ピッチ4.065歩/秒、歩幅1.77m/歩であり、7月では総歩数54.98歩、ピッチ4.076歩/秒、歩幅1.82㎝/歩であった。女子では総歩数が68.20歩から64.18歩となり、ピッチは3.644歩/秒から3.647歩/秒と変化なかったが、歩幅は1.48㎝/歩から1.57㎝/歩に拡大した。
「走り方のコツ」(解説)
上体はほぼ垂直か、やや前傾気味に保つ。膝は前方に大腿が地面と水平になる高さまで振り上げる。この動作は反対足のキック力を強める効果と股関節の大きな動作範囲を生み出す。ただし、太ももの筋肉をリラックスさせて膝が高く上がることが大切。着地に向かって膝は伸ばされるが足裏で円の軌道をたどるように足を運び、着地は柔らかく円が地面に接する感じで行い、腰をその上に軽く乗せる。キックは円を回転させるように行う。