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国内高地トレーニング施設の開設に向けて 立山編

国内高地トレーニング施設の開設にむけて  立山編

1990年から開始された高所トレーニングは、3週間から8週間をめどに行われていた。標高1886mの中国雲南省昆明の3週間の高地合宿や、標高2300~2350mのアメリカコロラド州アラモサやガニソンで行われた高地合宿で、選手の様子を見ていると最初の1週間は元気で、高地といっても少し息苦しかったり、少し身体が重いといった程度の感じであり、案外走ることは出来る。しかし、最初の1週間をがんばりすぎるとやがてガス欠のような症状が出始めて、2週間目、3週間目になると体の調子もわるくなって、気力もうせ、全く走りたくなくなるような状態になってしまう。このため、高地に行った最初の1週間は、けっして無理をせず、軽い体ならしにとどめること、と言うのが高地トレーニングを行なう上での最も重要なテクニックである。
 ここで、全く別の視点から高所トレーニングのあり方を考えてみた。高地に行った最初の1週間が元気に走れるならば、最初の1週間だけしっかりトレーニングして、さっさと平地に帰り、平地で疲労回復を図った上でトレーニングすることも有効な手段になるのではないか、と言うことである。
 それでは最短のトレーニング期間はどのくらいで効果があるか、という問題が出てくる。高地に到着すると気圧が少ないために、血管の中にある血液成分のうち、血漿と呼ばれる液体部分が血管外の組織に出てしまうので、血管内に含まれる血液量が減少してしまう。血球などの固体体積が大きいものは血管内に残るので、結果として血液濃縮が起こり、採血して血球数やヘモグロビン量を測ってみると平地で計った時よりも高い値を示す。これを「血液濃縮」とよぶ。高地環境に慣れてくると血管のなかにふくまれる液体量が回復して血漿体積が増し、採血して測定したヘモグロビンの値も平地の水準にもどる。高地滞在を継続すると、今度は血漿体積が減少せずにヘモグロビンの増加が起こってきて、およそ3週間もすると高地順化に見合うヘモグロビンの数値に落ち着く。高地に滞在するとヘモグロビンの量が増加すると言われるが、高地で生活するための順化が生じるためで、新しく赤血球が造りだされて血液が新しいものに変わるのにおよそ3週間かかる。
 しかし、ここで2つの可能性が考えられる。高地環境は、「低圧」と「低酸素」の環境であり、易しく言えば「気圧が低くて空気も薄い」と言うことになる。高地環境では、血液濃縮が起こるが、これが、気圧が薄いせいか、空気がうすくて酸素が足りないためか、どちらの理由によるものか考える必要がある。酸素が足りない状態になれば、とりあえず血管内の水分をリストラして、見かけ上のヘモグロビン濃度を高めて、酸素を出来るだけ多く捕まえてからだの組織に運搬しようと考えるのが普通であろう。考えるのは誰か。それはたぶん脳や血管自身である。
酸素が足りない状態になれば、血管が収縮して、余計な身体部分の血流を押さえることも常套手段である。酸素が足りないと言う状況を感知すれば、直ちに血管を収縮させて、血液の流れを少なくする。こうした生理学的な変化は15分以内に起こる。こんな状態のときに「走る」という運動をおこなうと、あまり配分したくない足の筋肉などに血液を多くはこばなければならないので、血管は、いやいや血流を増加させるのであるが、できるだけ酸素の消費をおさえて、はやくバテさせてしまおうとするのが当然である。人間の体の中には案外多量の酸素が普段から蓄積される仕組みになっていて臓器内や筋肉の中にも酸素が蓄えられている。筋肉にはミオグロビンと呼ばれるものが酸素と結びついている。
こうした状況で高地トレーニングの最初の段階は、血管収縮が生じても運動をすることによって血管収縮の効果を少なくし、それほど血管収縮しなくも命に別状がないことを教えてやれば、血管や脳に学習効果が出来るはずである。こうした学習効果を高めるためには、それほど長期間の高地トレーニングは要らないはずだ、と言うのが私が考えた理論的根拠である。
そのことを突き詰めて考えていくと、高所トレーニングの最短期間は「3泊4日」ということになった。なぜ3泊4日なのか。移動に1日、高地環境になれるのに1晩、脳が環境の変化をとらえてからだの調整や、運動からの疲労を回復させるのに1晩、そして3日目には体制を整えることが出来、4日目には急性の生じると予測した。そうした生理学的な予測とは別に、通常、人間が新しい環境になれるためには少なくとも3泊は必要がある。3泊もすると、飽きていやになるか、慣れてしまうものだ。学生運動が激しかったころ、機動隊に逮捕された学生は、留置所に「3泊4日」入ってくると、闘志になるか、運動から退くか、がはっきりしたと言う。ある意味で、3泊4日は、人生を深く考えたり、行動パターンを変えたりするには、必要で手ごろな時間の長さであるようだ。
こうした考え方にもとづき、3泊4日の高所トレーニングは効果があると予測し、その仮説を東京大学身体運動科学シンポジウム(学外者にも公開)に発表した。

タイミングとは不思議なもので、この年の夏に、日本陸上競技連盟の帖佐寛章専務理事から電話があった。「小林先生、富山県の中沖知事から頼まれて、富山県の立山に高地トレーニング場をつくり、高地トレーニングのメッカにしたいということですが、手伝ってもらえないだろうか。」という内容であった。陸上競技の関係者なら、誰もが知っているあの有名な恐持てのする帖佐先生からの依頼である。即座にこの話を引き受けることに承諾した。
アトランタオリンピックの終了した1996年の秋に富山県の職員の方の案内で、帖佐先生と一緒に立山連峰を隈なく調査した。美女平、天狗平(標高2300m)、地獄谷、キャンプ場、室堂(標高2450m)、室堂トンネル、黒部ダム、など、普段なかなか訪ずれることが出来ない美しい山岳風景や、美しい自然を満喫した。一晩は室堂のホテルで、帖佐先生と枕をならべて一部屋で寝た。帖佐先生は、大変な東大びいきの先生であることを知った。東大の先生方には子どものころから大変お世話になった、と丁寧な口調で述べられ、昔の先生方の話を聞かせてくれた。もちろん東 俊郎先生の話も出た。帖佐先生は、「高地トレーニングを実際に、最初に日本で行ったのは私である」という自負心をもっておられた。1マイル4分の壁を破ったイギリスのバニスターが高地トレーニングを行なった記事を読んで、自分もやってみようとさまざまな形で工夫した。バニスターは医学生であり、その後スポーツ医学の先駆的な研究を行っていた。帖佐先生の実験台になったのは、当時順天堂大学の学生であった澤木啓祐さん達であった。
このたび現地をいろいろと調査した結果、標高2300mの天狗平、および標高2450mの立山トンネル内のトロリーバス走路をもちいて、「3泊4日」の短期高地トレーニング実験を行うことにした。
実験研究は、1997年と1998年の2年間に渡って合計4回実施し、富山県がすべての研究費用を負担し、国内高地トレーニング場を開設する上での科学的データとする旨が決められた。
この短期トレーニング研究には、富山県の中沖 豊知事の肝いりのプロジェクトとして、準備された。実験研究には、地元の実業団の選手と高校のクロスカントリ選手、陸上選手、ボクシング選手などがトレーニングをかねて被検者として協力することになった。
最初の3泊4日」の高地トレーニング実験研究は、1997年の7月および9月に実施し、生理学的効果を見ると言うものであった。本当に「3泊4日」で効果があるのか、だれもが信じがたいテーマへの取り組みであった。研究の主体は、東京大学の身体運動学研究室の小林、助手の杉田正明、大学院生の禰屋光男、藤原寛康、陸上部の4年生である舟橋秀利がかかわり、現地スタッフとして富山大学の山地啓二教授、富山県教育委員会のスタッフが協力した。マネージャーとして緻密な世話役に終始してくれたのが、教育委員会の二神先生である。
研究は、富山空港に近接する富山県体育館で登山前の測定をし、その後約1時間で標高2300mの天狗平に移動し、2日目、3日目、4日目の早朝6時から立山トンネルでペースランニングをした時の血液乳酸や心拍数の計測をし、昼間は、それぞれのメニューでトレーニングし、4日目の午後に下山して再び登山前とおなじ測定をおこなうというものであった。平地から1時間で標高2300mまで移動できると言う地形的メリットをフルに利用した実験デザインであった。立山トンネルは、室堂と黒部を結ぶ観光用につくられたトンネルであり、長さが約3キロメートルあるトロリーバスの運行軌道である。トロリーバスの運行時間前の1時間を特別に使わせもらっての実験研究であった。
この最初に得られたトレーニング前後の比較データが、図00である。 
3泊4日のトレーニングによって、トレーニング後では、ペースランニングを行ったときの血液乳酸濃度がトレーニング前に比較して有意に低い水準になっているというデータが得られた。あまりに予測したとおりのデータが得られたことから、その年の9月にも全くおなじ手法で実験を繰り返した。結果は3泊4日で明らかな効果が見られた。翌年の1998年にも同様な実験を行い、自信を持って
短期間の高地トレーニング効果を発表することが出来た。発表は、1999年に立山天狗平のホテルを会場に、現地の紹介も兼ねて開催された「第3回高所トレーニング国際シンポジウム‘99立山」において行い、この方式を「立山方式」と名づけた。
 帖佐先生と現地調査を始めてから3年、立山方式の高地トレーニングは有効であると認められたものの、大きな問題が横たわっていた。標高2000~2400付近に何とかランニングトラックを建設しようとすると、国立公園内の草木、石ころ一つを動かしてはならない、という規則にぶち当たった。自然保護団体も強硬に自然破壊をともなうようなランニングトラックの建設などもってのほかと言うことであった。また、交通の不便さも問題であった。研究用に特別な許可をもらった車両では、簡単に天狗平や室堂に達することが出来るが、普段は乗用車の乗り入れは禁止されており、バスかケーブルカーを利用しない限り、山に登ることが出来ない。
 富山県の中沖知事は、何とか高地トレーニング場を開設したい意思をたびたび表明されたが、現地サイドや実業団のコーチたちも、交通手段の不便さを理由に、あまり積極的に立山の高地環境を利用しようとは思わなかったようだ。
スキーの複合ジャンプで金メダルを取った荻原健次選手は、標高2300mの天狗平山荘に宿泊してトレーニングを積んでいたという。天狗平山荘の主人の佐伯さんは、立山を開いた佐伯一族の一人で、ケーブルカーの終点駅である美女平から、天狗平まで走り登ったタイムのランキング表を玄関に張り出していた。そして、ランキングの人物評をするのが得意であった。実験研究の最終回である1998年9月に、実業団のアラコに就職した舟橋君に、ランキングに挑戦するように進めたところ、船橋君も乗り気になり、ランキングに挑戦した。船橋君の正確な記録は、覚えていないが、それまでのランキングトップ記録をあっさり更新してしまった。いまでも、個人的に立山の高地環境を利用してトレーニングしている人はいる。しかし、圧倒的な人数は、山を訪れる中高年の観光客である。観光客は、知らずうちに高地トレーニングの一端を享受しているとも言える。
中沖知事は、その後、毎年チューリップの球根を私に送ってくれた。そのチューリップの球根を工藤麻衣子さんに渡して、駒場グランドの陸上部部室前にある「KK ラボ」前の花畑に植えてもらった。毎年春にはさまざまな色のチューリップが咲き、学生たちの情操にも良い結果をもたらしていると思うが、この花壇は、棒高跳の練習でグランドに来ているマスターズ選手の中村さんが良く手入れして、花壇の手入れをおこない、新しい球根を補給しなくても毎年見事に花を咲かせている。球根は、毎年掘り起こして縁の下など涼しいところに保存し、再び植えるという作業を繰り返さない限り、いつか消えてしまうものである。













富山県立山連峰 室堂(標高2450m)、天狗平(標高2300m)でのトレーニング実験
3泊4日の短期高地トレーニングの効果飛騨御嶽高地トレーニングエリアの開発