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第13回 高齢化社会にむけた中高齢者の最大酸素摂取量

第13回 自伝的「健康とスポーツの科学」
子どもの測定から中高齢者の測定研究へ

登場する人 <青樹和夫> <芦田 淳>
12回私の世田谷2011年4月絵画

油彩画 14㎝×18㎝ 能仲ヤツヲ


子どもたちの呼吸循環能力(全身持久力)を最大酸素摂取量の発達からとらえてみると、幼児期からの運動習慣が大きな影響力を持ち、特に思春期にかけての最大酸素摂取量の増大には、それまでの運動実施の状況が強く反映されることが分かった。
最大酸素摂取量のピークは、17~22歳で形成されるが、その後はどのような経過をたどるのであろうか。成人期の年齢に伴う変化をとらえることも必要だと感じられた。
これからは高齢化が進む社会である。
中高齢者を対象にした研究を実施するにあたり、研究のヒントを与えてくれたのが、当時名古屋YMCAの指導主事であった青樹和夫氏である。青樹氏は、名古屋大学農学部農芸化学科の卒業生で、名古屋大学学長(第6代1969~1975年)を務められた芦田 淳(きよし)先生(栄養化学)の教え子であった。芦田先生は運動が好きで、学長職にあっても時々グラウンドの周りを走っておられた。世界に先駆けて栄養学に生化学的方法を導入した功績が高く評価され、1953年に初版が出版された「栄養化学概論」は、不朽の名著とされ、現在でも栄養学を学ぶものに読み継がれている。芦田先生は、運動の大切さを実感されており、青樹氏はそうした芦田先生の影響を強く受けて、運動に対する強い興味を持ち続けていた。
1970年に名古屋大学に赴任した私に会いに来られた青樹氏は、「これから日本には高齢化社会が来る。高齢者が元気に生きるためには運動することが大切であるが、自分には研究の環境が整っていない。小林さんには、この研究分野をぜひ手掛けてほしい。そのための協力をさせてほしい」ということであった。
青樹氏の提案を受け入れて、YMCA中高年健康教室(サンデイジョギングクラブ)の会員を対象に最大酸素摂取量の測定を実施することになった。ジョギングクラブといっても、日曜日に集まって一緒に走るといったサークルで、その後のジョギングブームの走りであった。
 最大酸素摂取量の測定は、トレッドミル歩行法で、歩行速度は毎分94m(1マイルに相当)で一定とし、角度が1分ごとに1%ずつ上昇するという「角度漸増法」を用いた。角度が15%に達するまで運動が継続可能な人については、15分以後は角度15%のままで、速度を毎分10mずつ上昇させるという方法である。
 一人の測定には、安静時の測定を含めておよそ1時間を要するが、中高齢者を対象にすることから、安全を配慮した様々な準備と対策をこうじた。最初の測定は、73歳の人で、現役で金属の加工職人として働いている人であった。この時代、中高齢者を最大努力で追い込んで、最大酸素摂取量を測定するなどということは、危険極まることであり、だれも考えつかないことであった。アメリカでも70歳を超える人の最大酸素摂取量を直接法(実際に運動で最高限界まで追い込む)で測ることはほとんど行われていなかった。
 その意味で、高齢者の最大酸素摂取量を日本で最初に測定するということになった。
高齢者の測定に対する経験が全くなかったことに加えて、高齢者が運動によって本当に自分自身を最大限界まで追い込むことができるのかどうかも未知であった。
 鼻と口を覆う呼気ガス採集用のマスクを取り付け、胸に心電図用電極を張り付け、安静時5分間の心電図記録を確認し、安静時の呼気ガスをダグラスバッグに採集し、いよいよ運動の開始である。ベルトの動きに慣れないうちは、足元が不安定になるので、少し練習をしてから本番の測定に入る。「もうこれ以上運動を継続することが無理だと感じた場合には、いつでも良いから合図をしてください」という約束で、本番の測定が始まった。72歳の人は、元気な様子で足取りはしっかりと、徐々に角度が上昇し、山道がきつくなるトレドミルベルト上の歩行を続けた。心電図のR波の表れる様子から心拍数を換算するのであるが、安静時に70拍/分であったものが、運動時には150拍/分を超える水準になる。心電図のR波の間隔がどんどん短くなって心拍数が高まってくる。トレッドミルの運転と心電図の監視役である自分の心臓も不安とともに鼓動が高まってくるのをじっと我慢した。「はい、これまで」と合図してくれる瞬間を今か今かと待ち続けた。

スライド8