ゆっくりした動きの意味 身体の内気の流れ
小林寛道
はじめに
東洋的運動には、ゆっくりした動きが比較的多い。健康法に関連した身体動作では特にそのような傾向が強い。ヨーガ、気功、太極拳、座禅、弓術、などをその代表としてあげることができる。伝統的芸能関係でも、能、舞、などの所作において動きはゆっくりとしている。
視点を変えて、昔から行われてきた労働についても、農耕民族としての田植え、畑仕事、その他の肉体労働についてもゆっくりしたリズムの動きが主流である。これらを包括的に考えてみると、東洋では、生活や文化のなかで、身体の使いかたや心の動きをふくめて、ゆっくりした時間の流れを大切にするという要素があるのではないかと思われる。
そのことは、ますますスピード化された現代の生活と精神作用のなかでつい忘れられがちであるが、逆にその価値が再評価されつつあるということもできる。
意識化されたゆっくりした動きの中では、「内省的な要素」が大切にされ、「内省的な動き」や「内省的な葛藤」というものが大きな意味をもつことになる。ゆっくりした動きでは、「繰り返しのある動き」や「描写・表現的動作」が行われることが多い。このような動作がある周期性をもって繰り返されることによって、「内省的な動き」はある種の葛藤を経た後、「快さ」や「安らぎ感」時には「静かな躍動感」を生むようになる。そうした内省的な動きの世界にすっかり浸りきってしまうということも珍しくない。
内省的な動き
「内省的な動き」と表現した内容について、もう少し立ち入ってみると、具体的には呼吸に伴う横隔膜の動きや、筋群の働き、およびそれらを随意的にコントロールする意志あるいは意識の働きが関与する。意志あるいは意識の働きは、中国では「意念」という語を用いて表現されているが、「脳」の働きと極めて深くかかわっている。
中国気功では、4000年来の知恵として体内に経絡が存在し、それは12の経脈と8つの脈(奇経八脈)から成り立っているとされる。8つの脈の内、体内を縦方向に前面中心を走る「任脈」と後面中心を走る「督脈」の二脈が重要であり、この二脈を周回する「気血」の経路を「小周天」と呼んでいる。東洋的な運動と健康法を論じる場合には、「気」と「経絡」(東洋医学)、あるいは「チャクラ」(ヨーガ)をさけて通ることはできないが、ここではできるだけ東西の融合する視点を見い出して行きたい。
これまで気功に関しても様々な実験や計測が行われているが、「気」に関しては、丹田に熱気を生じさせ、それを尾底骨へまわし、さらに脊柱に沿って頭頂部まで上昇させ、のど、胸を経由して再び下腹部までおろすという「小周天」の一周回に要する時間が電気的方法によって測定されている。ひとによって差はあるが、その時間は平均して一分程度であると報告されている(4)。このように熱気、すなわち「内気」の運行をある程度随意的にコントロールする意志の力が「意念」である。
東洋的なゆっくりした運動動作の中では、ゆっくりした呼吸、正確な身体バランス、筋の収縮と弛緩、「内気」の運行、などの要素を伴うことが普通である。
「内気」の運行
ゆっくりした動作では、ゆっくりした呼吸によって深い呼吸がなされるという単純な図式の他に、呼吸と動作および意識を組み合わせることによって、「内気」の運行の自由度を高めることができる。
「内気」の運行は、小周天ばかりでなく、身体のあらゆる部位において可能である。たとえば、「重たい空気」を持ち上げるように意識して両手を床の位置からもちあげれば、それなりの筋の収縮力の増加と「内気」の運行が生じる。それは初期的には胸腔内圧または腹腔内圧の増加として感じられるが、慣れてくると「内気」の運行を自覚できるようになる。
脚を前後に開き「重たい空気」を押すように両手を徐々に前方に伸ばせば、体幹の筋の緊張度も増加する。面白いことに、末梢の手指の動きにおいて重たい空気を握るように意識してゆっくり握れば、その影響は腹部の筋群にまである種の緊張を生じさせ、その指をゆっくり伸ばせばまた異なる刺激が内腹部に生じる。手首の回内、回外を加えれば、さらに異なる刺激が生じるようになる。
東洋的なゆっくりした運動動作の中では、単純な動きにみえるものでも、四肢と体幹の屈曲・伸展、回内・回外、内旋・外旋などの動きの内容をできるだけ「意識化」して行い、「内気」の運行を高めるということに特徴があると言える。
「内気」の運行を高めるということは、結果的には、全身や体内局部の血行を良くすることと同義的な内容をもつことになる。しかし、運動によって生理的に血流量が増加したという場合にも、その血流配分や循環動態において、それが「意識化」された身体部位に対する配分が多くなるという特徴がみられる。この現象は、局部的な温度変化などによってとらえられている。
筋の緊張と弛緩
運動には、有酸素的運動と無酸素的運動があるといわれるが、東洋的なゆっくりした動きでは運動そのものは基本的に有酸素運動であるといって良い。
一般に健康を目的とした有酸素運動では、歩行やジョギングなどで脂肪をエネルギー源としてより多く燃焼させることが期待されているが、東洋的なゆっくりした動きでは、エネルギー消費はあまり意識されておらず、自律神経系の調整をふくめて、「身心の調整」をはかること、および「調整能力」を高めることが目指されている。
「身心の調整」の調整は基本的に「呼吸法」によって可能であるが、流石に「呼吸法」だけでは運動体としての身体の機能を維持向上させることはできない。筋の衰えをふせぐことは、健康法の基本的な事項として理解されている。ただし、その方法は、抵抗負荷を用いたレジスタンストレーニングという欧米的な考え方とはやや異なっている。
運動体としての人間のからだの筋を働かせる第一の方法は、筋の「緊張」と「弛緩」である。筋を緊張させるもっとも基本的なかたちは「短縮性収縮」であるが、「等尺性収縮」や「伸張性収縮」との組み合わせが十分に取り入れられている。東洋的な動きに用いられる筋収縮の特徴は、収縮させた筋の状態をすぐに弛緩させずに、ある一定時間緊張させた状態を保つことにある。緊張の度合いはそれぞれの場合によって異なるが、「ほんの軽く緊張させる場合」「やや強く緊張させる場合」「強く緊張させる場合」などにわかれる。筋の緊張は、腹筋などでは容易に調節できるが、慣れて来ると、全身のいろいろな筋群を個別に緊張させたり弛緩させたりすることができるようになる。
筋を緊張させることに比較して、筋を弛緩させることはやや難しい。東洋的運動では筋を軽く緊張させた状態から力を徐々に緩めることによって筋の弛緩の感覚を体得して行くことが近道である。「意識的」に筋を収縮させることは容易であるが、「意識的」に筋を弛緩させることができない人もいる。「意識的」に筋を弛緩させるためには、まず弛緩させた筋の状態を感覚的に体得させ、力を抜くことを身につけることが必要である。筋の弛緩状態にも「軽い弛緩」から「十分な弛緩」まで程度の差がある。特に大切なのは、筋の緊張状態から弛緩状態に移行する過程、および弛緩した状態から緊張に移行する過程であり、このときに生じる生理学的反応が筋の衰えを予防することに大きな効果をもっているようである。
近年では、血圧測定に使うマンシェット状の装置を用い、上肢や下肢の血流を阻止した状態(加圧状態)で軽いウェイトトレーニングを行うと、中高年者でも筋の肥大が比較的容易に生じることが実験的に示され注目されている(1)。
東洋的運動のゆっくりした動きのなかでは、比較的持続する筋の緊張状態とそれを解放する筋の弛緩状態を意識的に作り出しているが、こうした筋の使い方によって血流阻止の場合と類似の効果が得られているのかも知れない。
東洋的運動から生まれた全身的トレーニングマシン
東洋的運動には、様々にすぐれた効果があり、その効用はすでに多くの機会に実証されている。しかし、東洋的運動に慣れている人にとってはごく自然に思えることでも、一般の人々にとってはなんとなく取り組みにくいという要素もある。東洋的運動だけでは不十分な要素もある。そこで、東洋的な要素と欧米的な要素、日本的な要素をとりいれたトレーニングマシンを開発することを思い立った。著者(小林)は、1989年に東京大学公開講座「気の世界」というテーマで「身体運動と気」について口演しているが、これ機会に「内気」を意識することの大切さを認識することになった(2)。「内気」を調整し、その運行を高める方法として「和船漕ぎ動作」の運動形態を選んだ。
和船は、立位姿勢で一本の長い櫂(オール)を漕ぐ。両脚を前後に開き、両手で櫂を押したり引いたりして水から推進力を得る動作は、船漕ぎ動作として古代から存在していたようである。日本の神話時代では、「天照大神が天界の父神のもとから舟を漕いで出発された」とされているが、その舟を漕ぐ動作は和船をこぐ動作だと推量されている。日本の武道の世界では、昔から準備運動や足腰を鍛練する動作として和船漕ぎ動作が伝統的に伝わっている。今日でも和船漕ぎ動作は、伝統を大切にする武道場では相撲における調体(てっぽう)や四股と同じくらい重要視されている。また健康法としても用いられてきた。
北京体育大学の気功研究家であり導引養生功の指導者である 張 広徳教授は、もっとも基本的な健康のための功法として、導引保健功を推奨している。導引保健功は、①調息吐納 ②順水推舟 ③肩担日月 ④鵬鳥展翅 ⑤力搬磐石 ⑥推窓望月 ⑦迎風禅坐 ⑧老翁彿髯 の八つの動作から構成されており、①と②は血圧を正常にする効果をもち、③は腰痛、泌尿器、④と⑤は胃、脾、⑥と⑦は血圧、⑧は胃、脾に効果があるとしている。
順水推舟は、和船漕ぎ動作である(図1、2)。
開発されたトレーニングマシンは、アームレバーを押したり引いたりするかたちの「和船漕ぎ型トレーニングマシン」で抵抗負荷には電磁式ブレーキを用いた。
このような和船漕ぎ動作を、背中の部分が硬く凝りやすい中高年(58才男性)がやや重いと感じられる抵抗負荷で30分間(20往復/分)を行った。僧帽筋部位における組織酸素飽和度(StO2)およびヘモグロビンの動態をレーザー組織血液酸素モニター(Omegamonitor BOM-LITR)で観察した。その結果、僧帽筋の組織酸素飽和度(StO2)は、運動開始5分間は低下しその後徐々に上昇し、運動終了に至った。運動後は急速に組織酸素飽和度(StO2)の上昇がみられ、運動開始前の値(59%)より約8%高い水準(67〜66%)をしばらく保った。指尖の爪の部分で計測した血流量は運動中にある周期性を描きながら全体として増加し、運動終了後も比較的高い水準を維持した。酸化ヘモグロビン(oxyHb)は運動に伴い徐々に増加し、運動終了後もしばらく高水準を保った(図3)。
一方、「和船漕ぎ型トレーニングマシン」を用いずに、舟漕ぎ動作だけを30分継続した場合には、組織酸素飽和度(StO2)は運動開始5分までやや低下傾向を示し、以後運動27分まで上昇し、その後ほぼ一定水準となったが、運動終了後は、速やかに下降した。酸化ヘモグロビン(oxyHb)は運動中にわずかに増加傾向を示し、運動後は運動時よりやや低い水準にあった。
「和船漕ぎ動作型トレーニングマシン」を用いた場合には、生理学的指標は、運動前と比較して、運動後でさらに組織の酸素飽和度が高まり、血液循環の良好な状態がより持続したということができる。
東洋的運動では、「気」の運行がめざされるが、大切なのは動作から生み出される成果が大きいことである。東洋的な動作を行うことで結果的に「気」の運行も自然のうちに図られるということもあり得ることで、そうした観点にたったトレーニングマシンもさらに開発されてくる事が期待される。
文献
1. 石井直方 加圧筋力トレーニングの全魅力 加圧筋力トレーニング指導者交流会 2002
2. 小林寛道 身体運動と気、「気の世界」(東京大学公開講座50)東京大学出版会
35-68. 1990
3. 小林寛道 ランニングパフォーマンスを高めるスポーツ動作の創造 杏林書院 2001
4. 張 恵民(日本気功協会訳):中国気功法 徳間書店 1988
5. 張 広徳 中国導引養生学 功法巻(上)修訂本 河北人民出版社1994