1. HOME >
  2. 自伝的「健康とスポーツの科学」連載「月刊私の世田谷」より >
  3. 第7回名古屋大学に採用 第8回有酸素運動と健康

第7回名古屋大学に採用 第8回有酸素運動と健康

第7回

11.名古屋大学に採用 IBP(国際生物学事業計画)


登場する人 <松井秀治> <宮下充正> <吉村寿人> <猪飼道夫> <S.ホーバス> <金子公宥> <田口貞善>

名古屋大学教養部に1970年に採用された時の身分は、文部技官・教務員であった。この教務員という役職は、俸給表(教育職一)の上では、教授、助教授、講師、助手、教務員という序列で、○等級○号俸という格付けがあり、教授は1等級、教務員は5等級にランクされていた。教務員は文部教官ではなく文部技官という位置づけで、主に、実験系の授業の下準備や教授、助教授の研究・教育業務を助ける役割を担っていた。
教養部の保健体育科目では、実験実習を行う授業はなかったので、私の仕事はもっぱら教授・助教授の仕事の手伝いと、研究の下働きがすべてであった。松井秀治教授と同室で、毎日、教授室や実験室の掃除、後片付け、いろいろな先生方の研究の手伝い、教授を研究筆頭者として研究費がついた研究プロジェクトの実行、データの処理、論文化のための様々な資料作成、学会や研究会の事務的な準備、などがあった。とりわけ大きな比重を占めたのが、松井先生の原稿の清書、講演資料の準備、スライドの作成、など秘書的な仕事の内容であった。また、助教授として宮下充正先生(後に東大教育学部教授・学部長)がおられ、飛ぶ鳥を落とす勢いで研究活動の指揮をとっておられた。
名古屋・三重・岐阜など近隣の大学や高校の先生で、運動学の研究をやりたい人を集め、火曜研究会を組織し、研究の成果を日本体育学会、日本体力医学会に盛んに発表することによって、名古屋研究グループの学会での勢いはぐんぐん高まってきた。1965~1975年頃には「国際生物学事業計画(IBP)」という国際的な研究プロジェクトが立ち上げられ、京都府立医科大学の吉村寿人教授(環境生理学・特に寒冷環境の生理学で著名)をチーフとして日本の研究班が構成された。「人間の作業能(Working Capacity)に関する研究」を東大の猪飼道夫教授が受け持ち、その分担研究を名古屋大学の松井先生が受け持ち、名古屋研究グループは、「子どもの有酸素作業能の発達」と「有酸素能力の測定法の比較検討」という2つのテーマを受け持つことになった。「最大酸素摂取量」という生理学的指標をもとに、世界各国の青少年・成人の体力を国際比較するという大規模の研究プロジェクトで、体力の民族比較という目的も備えていた。
日本人では、青少年のほかに、アイヌ民族の体力、日系2世、日系3世の体力比較という内容も含まれていた。最大酸素摂取量というのは、激しく追い込まれた持久的全身運動を行ったときに、呼吸によってどれだけ多くの酸素を体内に取り組むことができるか、という呼吸循環機能をあらわす最も信頼される指標として考えられており、肺の換気能力、心臓の血液運搬能力、組織の毛細血管の発達、酸素を取り込む血液成分、筋肉での酵素活性、など、酸素の取り込みと運搬能力を代表するものとされている。日系2世、3世の測定は、カリフォルニア大学サンタバーバラ校環境ストレス研究所のスチーブン・ホーバス教授を班長とするチームで行われた。日本からは松井先生のほか、金子公宥(当時大阪体育大学助教授)、田口貞善(後に京都大学教授)の両氏が加わり、田口氏は2年以上サンタバーバラにとどまって研究を続けた。
名古屋研究グループでは、名古屋大学付属中学・高校の生徒を対象に、毎年Ⅰ回最大酸素摂取量の測定をすることになり、一学年男女20名、合計240名を追跡的に3年間測定するというプロジェクトと、最大酸素摂取量を「自転車エルゴメータ」「トレッドミル歩行法」「トレッドミルランニング法」の3つの異なる方法で測った時の測定値の差がどれぐらいあるか、という測定法の比較研究を受け持った。

第8回 
12.有酸素運動と健康 血液乳酸濃度

糖尿病や脳血管障害、心臓病などの生活習慣病の誘因となるのは、過飲食や運動不足による内臓脂肪の蓄積であるという因果関係から、厚生労働省のメタボ対策では、有酸素運動と筋力トレーニングが推奨されている。有酸素運動は、安静状態に代謝されるエネルギー消費量の3倍以上の負荷(3メッツ)となる運動を、毎日、1時間することを勧めている。目安としては1週間に23メッツ時(23エクササイズ)以上の運動となる。この運動量を下回る生活では、生活習慣病の予防や改善にはならないとされている。
そもそも有酸素運動とは何か。現在では常識的に酸素を体内にとり入れるような運動と理解されているが、基本的には、心拍数が増加し、呼吸がやや活発になることが期待される運動である。運動は筋肉の活動によって生じるものであるから、当然筋肉のトレーニングも有酸素運動に欠かすことができない。筋力トレーニングといえば、誰しもバーベルや鉄アレイ、または筋トレーニングマシンを用いた運動を想像しがちであるが、瞬発力を発揮した運動は「無酸素運動」とされてきた。運動には、有酸素運動と無酸素運動があり、有酸素運動は、呼吸循環運動、無酸素運動は瞬発的な運動と単純化された形で理解されてきた。しかし、純粋な意味で「無酸素運動」というものはない。どのような運動でも多少の有酸素的要素を含んでおり、無酸素運動といっても、筋肉中に蓄えられている酸素を使ったり、運動の直後に不足した酸素が筋肉に取り込まれている。筋肉中に酸素を蓄える働きをするのがミオグロビンである。
比較的軽度な有酸素運動から高強度の無酸素運動に変わる生理的な境界域が「無酸素性作業閾値」(アネロビック・スレッシュホールド:AT)であるという理論が1970年代にアメリカのワッサーマンたちから提唱され、学会は「無酸素性作業閾値」(AT)に関する研究の話題で大騒ぎになった。私は1976年から1978年までS.ホーバス教授が所長を務めるカリフォルニア大学サンタバーバラ校環境ストレス研究所に研究員(ポストドクター)として留学する機会を得たが、ロサンゼルスで開催された運動生理学会のセミナーに参加して初めて、アメリカの研究者たちが本気で、ある意味ではけんか腰で自説を主張する姿に接した。「そんなにムキにならなくてもいいじゃないのか」と思うほど、彼らの討論は白熱化していた。その最も白熱化していた課題が「AT」であった。このATを巡る論戦は、1980年代には世界中を白熱化させ、医療機器メーカーをも巻き込んで大きなブームとなった。
 有酸素的な体力を測定するのに、激しく全身を追い込む「最大酸素摂取量」を測定しなくても、ATのほうが、正しく有酸素体力をとらえることができるという理論である。ATの指標として、運動の途中経過で、呼吸の換気量が急激に増大し始める境界域(VT)や、血液中の乳酸濃度が急激に上昇する境界域(LT)を求めればよい。最大酸素摂取量が、呼吸循環系の体力の最も信頼される指標であるという観点からすれば、このことは革命的なことであった。そして、持久的な体力を向上させるには、AT付近の運動負荷でトレーニングすることが最も楽に効率的に効果を上げることができる、というものである。このATが、段階的に運動負荷を上昇させていく漸増負荷テストで、コンピューターにより自動的に求められる装置が開発された。医療機器メーカーは盛んにATが求められる測定機器を開発し、大きな利益を得ることができた。ATに関する研究論文も学術雑誌に多数採用され、ATの話題は学会で最も白熱したテーマとなり、博士も数多く生まれた。ところが2000年代になって、科学的研究手法が進歩してみると、どうもATという概念はおかしいということになった。しかも、無酸素運動というものの存在もあやしくなってきた。まして有酸素運動から無酸素運動に移行する境界域としてATが存在するということは成り立たない、ということになった。すると、一体この20数年間の論争は何だったのであろうか。 私が留学した1976年に始まったAT論争は、ようやく2000年ごろにはおさまった。その経過を目の当たりに見てきて、科学が真実を見つけ出すには随分と時間と労力がかかるものであるという感想を持たざるを得ない。私個人の感想からすれば、はじめからATという概念には何かすっきりしない感じがあり、その領域には傍観者の態度を持ち続け、ひたすら実直に最大酸素摂取量の測定にこだわり続けた。

なお、近年ではATという概念ではなく、血液乳酸が急上昇する運動負荷水準を「乳酸閾値(LT)」としてトレーニングの負荷強度の目安にしている。