文部科学省新体力テストは、6歳以上児童生徒、学生、一般成人、高齢者を対象に2000年から実施されている。このうち、握力、上体おこし、長座体前屈、の3種目は全年齢を通して実施されている。長座体前屈は、柔軟性をテストするうえで、それまで立位体前屈が行われてきたが、長座体前屈に変えることになった経緯がある。若い人では、脚長が長くなっているので、単に長座体前屈をおこなっても、脚長の影響が出てしまうので、脚長の影響をできるだけ少なくするために、テーブル移動式の長座体前屈測定器が考案された。この方法は、新体力テスト委員会のメンバーであった小林寛道の発案によるものである。新しい測定機器を用いるという事で難色を示されたが、コピー用紙の箱を用いる方法によって道具の問題は解決された。まったく新しい方法であったために、実証テストなど様々な手続きが行われた。最終的に知的財産として文部科学省から特許申請することが望ましいと考えたが、文部科学省にはその制度がないために、小林寛道の所属する東京大学から国内特許、および外国特許の申請がなされ、それぞれ特許が成立した。発案者は小林寛道となっている。現在実施されている新体力テストの長座体前屈計は、この方法に基づいている。テーブル移動式長座体前屈計は、様々に簡略化されたものが市販されている。特許権は、その後東京大学が放棄をし、現在は成立していない。2003年に、日本体育学会第54回大会(於:熊本大学)測定評価専門分科会において、測定機器の発明がどのようにして特許の成立に結び付いて来るのか、またそれが実際の器具として商品化されるのかなどの手続き等含めてを解説してほしいという要望にこたえる形で、「テーブル移動式長座体前屈計」の場合について発表した。この資料は、文部科学省から出版された「新体力テスト」の解説書に一部公開された以外には、この学会発表以外には公表されていない。開発発明から十数年が経過していることから、ここに学会発表スライドに準じて示すことにする。
〈特許の取れる測定法の開発 テーブル移動式長座体前屈測定計の場合〉
新体力テスト6~79歳の共通測定項目
新体力テスト6~19歳の測定項目
新体力テスト20~64歳
新体力テスト65~79歳
体力・運動能力のあり方に関する調査研究について。体育局長裁定
体力・運動能力調査のあり方に関する調査研究協力者名簿
長座体前屈測定法に関する発案
新測定法発案の条件
小林の発案によるテーブル移動式長座体前屈計の試作機
テーブル移動式長座体前屈計のテーブル正面写真。テーブルは2本のレールの上を前後に移動する。
テーブル移動式長座体前屈計のテーブル側面。高さ調節が可能
テーブル移動式長座体前屈計のシート部分は、折りたたみが可能
測定方法の違いによるデータの比較検討
従来型の長座体前屈計の方法。足裏を箱の縁にあてて、両手を伸ばして足裏から先の距離を測定する
足裏を箱に着けた場合に指先が箱につかない人がいるために、箱の上に板を載せて、距離を測定する。この場合、背中は壁に着けた状態を基本姿勢とする。
テーブル移動式長座体前屈計では足の長さにかかわらず、背中を壁に着けた姿勢を基本姿勢とし、指先を遠くに伸ばした時にテーブルを一緒に移動させ、その移動距離を計測する。脚の長さの影響を少なくするための工夫。
検証のための被験者の人数
測定の要領
三つの測定法による比較・足首を固定した場合
三つの測定法による比較・足首を自由にした場合(ただし従来型、および新従来型では、足首は固定)
テーブル移動式長座体前屈計を用いた場合の足首固定と足首自由との比較。両者の間に統計的に有意な差がなく、足首は自由でよいことがわかる。
テーブル移動式長座体前屈計での測定結果と形態(身長、かかとから後背板までの距離:脚長に相当する、上肢長、上肢長の「かかとから後背板までの距離」に対する割合:相対的な腕の長さに相当する。この結果、脚長にはあまり影響されない様子がとらえられた。
テーブル移動式長座体前屈計の測定値と立位体前屈、従来型長座体前屈、新従来型長座体前屈での測定値を比較すると、足首が自由なテーブル移動式長座体前屈計の測定値が最も大きいことが示された。
測定後の感想では、足首自由のテーブル移動式長座体前屈計での測定が、従来型と比較してやりやすかったという感想が67~70%の人から得られた
従来型長座体前屈とテーブル移動式長座体前の測定法の比較一覧
テーブル移動式長座体前屈計の測定時の姿勢分析
テーブル移動式長座体前屈計の開発に関しては、日本体育学会第48回大会(於:新潟大学)の測定評価専門分科会一般発表で発表している(大会号論文集1997年に掲載済み)
テーブル移動式長座体前屈計は、その理論を明確にするためにしっかりした装置を作成したが、委員会では、高額な測定装置は用いるべきでなく、どこでも測定することが可能でなければならないという理由から、A4版のコピー用紙の段ボール箱を用いた測定用具を提案することになった。コピー用紙の箱を2つ並べて、その上に段ボールの厚紙を載せて移動式テーブルを作り、このテーブルを移動させて長座体前屈を計測する方法が、文部科学省の正式な測定法として採用された。
長座体前屈の初期姿勢
発明の届出書:文部科学省では、発明特許を直接受け入れる制度がないので、小林寛道の所属である東京大学総長あてに、発明の届出書が提出された。
発明者から発明にかかわる権利を東京大学に譲渡するための譲渡証書および発明の内容説明書。
特許の出願と審査請求書の提出。特許を申請しただけでは特許出願というだけで特許が認められたわけではない。出願のほかに審査請求を行って審査を受け、合格となった段階で特許が成立する。
米国特許出願手続き書
EPU,カナダ特許出願手続き書
公開特許公報:特許出願すると、特許庁が公開特許公報に出願の内容を公にする。こののち審査が行われる。
特許審査が行われ、合格すると特許庁から特許取得通知書が送付される。
特許公報に特許の内容、特許権者、発明者が掲載される。
特許公報の内容2、3ページ目
特許公報の内容4ページ目
特許証 特許第2972864号 特許権者 東京大大学長 発明者 小林寛道 と記載されている。
アメリカ合衆国特許も取得できた。アメリカ合衆国特許証
アメリカ合衆国特許公報 1,2ページ目
アメリカ合衆国特許公報 3.4ページ目
アメリカ合衆国特許公報 5,6ページ目
アメリカ合衆国特許公報7,8ページ目
カナダの特許証
国有特許専用実施等設定契約書 東京大学と科学技術振興事業団との間で交わされた文書で、この特許の専有実施権を科学技術振興事業団があっせん等の事業を行う取り決め。
株式会社ヤガミが、国有特許権の実施を行ったときの報告書
テーブル移動式長座体前屈計の商品カタログ
テーブル移動式長座体前屈計の商品カタログ裏面
発明、特許、実施にかかわる全体像
日本体育学会測定評価専門分科会キーノートレクチャー
特許の取れる測定法の開発
小林寛道(東京大学)
はじめに
近年、大学では学術論文と同様な価値基準をもって特許の取得が奨励されている。産学官共同による協力を進める場合に知的財産が貴重な根拠となることは間違いない。知的財産となるような発明特許が取得できるような研究を行うことも、これからの大学人にとって必要なことだと考えられる。
発明の実際
「テーブル移動式長座体前屈測定計」の場合
文部科学省の「新体力テスト」には、6歳から69歳までを対象とする共通項目が3つあるが、「長座体前屈」はこのうちの1項目である。この「長座体前屈」は、いわゆる立位体前屈を長座姿勢で行う従来型の長座体前屈ではなく、新しい発想にもとづいて考えられた測定法である。
測定法の問題点と課題
柔軟性を測定する目的で「立位体前屈」や「長座体前屈」が行われてきたが、従来型の測定方法にはいくつかの欠点があった。
①「立位体前屈」では床より高い台の上に立った姿勢から、両手を揃えて床方向に前屈姿勢を強めていくが、頭部も同時に下げていくので、頭部の血圧が上昇する。この姿勢は中高齢者を対象とした場合には危険性もあり、測定上の安全という点で問題が大きい。
②柔軟性のテストでありながら、実際には大腿背面の筋群(主としてハムストリングス)の相対的長さやストレッチに対する対応性が制限因子となる場合が多く、膝の裏側部分に痛みを伴うことが一般的である。
③この測定では、膝を完全に伸ばした姿勢で行うことが要求されているが、膝をやや緩めることによって成績が著しく向上する。中高年者のように膝が曲がっていたり、膝の具合が悪い人にとっては測定そのものが不適である。
④測定姿勢からもとの姿勢に戻すときに腰部への負担が大きい。
⑤若者のように脚が長く、特に下腿が相対的に長い人では、柔軟性の成績が悪くなる。
上記のような問題点を有していた。
「長座体前屈」は、特に安全性の点を考慮して「立位体前屈」の測定方法をそのまま長座姿勢で行うように工夫されたものであるが、安全性(①)という点以外では、上記の問題点は解決されていない。
相対的に脚の長い人が不利である(⑤)という問題点を解決するために、「初期姿勢」という考え方が提案された。この方法は、長座姿勢をとった時に測定値の計測原点(メモリがゼロとなる位置)を足底板に接した足裏の位置ではなく、背中を伸ばした姿勢で両手を揃え、肘を伸ばして指先を30cmの高さにある目盛版の上に置いた姿勢を「初期姿勢」とし、その時の指先の位置を計測原点としている。この方法を採用することによって、少なくとも「脚の長い人に不利」という問題点は緩和された。
「テーブル移動式長座体前屈」の発想
「テーブル移動式長座体前屈」は、基本的に小学1年生から中高齢者までが無理なく、「痛み」を伴わずにできる方法として考えられたものである。
「痛み」は基本的に足首の角度を90度の固定することから生じる。そこで柔軟性テストとして足首の角度に自由度があるように、足首開放型と姿勢とした。
両手の指先を揃えた姿勢では、肩関節周りの筋肉が発達した人では窮屈であるため両手を肩幅に開いた姿勢で前屈する方法とした。
テーブルに両手を載せ、両脚をテーブルの下に伸ばした長座姿勢でテーブルをレール上でスライドさせることにより、体重の一部が両手で支えられ、腰部への負担を軽減した。
テーブルの移動距離を柔軟性の指標とするが、原点(ゼロ)の位置は、背面板に背筋をしっかり伸ばした姿勢をとり、両手を伸ばしてテーブルに置いた「初期姿勢」をとった位置とした。テーブルの高さは、座高によって25cm、30cm、35cmの高さで調節できるようにした。
新しく考案した「テーブル移動式長座体前屈測定計」と従来の「立位体前屈」「長座体前屈」
での測定結果の比較、および「足首固定」の場合と「足首自由」の場合の比較、さらにテーブルの高さによる成績への影響、などについて測定実験を行った。その結果、従来の測定法の欠陥を補い、測定の信頼性も高いことが認められた。
文部科学省の「新体力テスト」では、背面板は通常の壁を利用し、テーブルはA4版のコピー用紙用のダンボール箱を2つ並べてその上に板を載せた簡易テーブルを用いることになっている。これは、測定装置がどこでも簡便に用意できるという配慮から工夫されたもので、本来は、「テーブル移動式長座体前屈測定計」を用いることが理想的である。
特許の申請について
文部科学省の「新体力テスト」では、「テーブル移動式長座体前屈測定計」が直接採用されることはなかった。それは高価な測定機器を購入しなければならない測定方法では、教育現場が対応できないという理由であった。テーブルを移動させて柔軟性を計るという発想や「テーブル移動式長座体前屈測定計」の発明は小林によるものであるが、このアイディアを日本の知的財産にしようと考えて文部省(当時)の特許とするように申し出たが、そのような例がなく、東京大学から特許出願することにより、国有特許とすることになった。
特許出願には多額の費用がかかるため、東京大学としても「発明委員会」を開催し内容を審査した上で、本件の特許申請を行うことが決定された。この場合、特許権を小林が東京大学に寄付するという形になっている。
特許出願の方法
特許を出願する場合に、一定の様式に従って書類を作成し、学内手続または個人で特許事務所を通して申請することができる。申請のみをする場合と、審査請求をする場合とがある。特許出願公開の後、審査を受けて拒否の理由がないと認められれば、特許証および特許番号が与えられる。これまでに類似のものがあると審査段階で「拒否」の結果となるが、論文審査の場合と同様に審査官とのやりとりができる。
特許の取れる測定法の開発
小林寛道(東京大学)
はじめに
近年、大学では学術論文と同様な価値基準をもって特許の取得が奨励されている。産学官共同による協力を進める場合に知的財産が貴重な根拠となることは間違いない。知的財産となるような発明特許が取得できるような研究を行うことも、これからの大学人にとって必要なことだと考えられる。
発明の実際
「テーブル移動式長座体前屈測定計」の場合
文部科学省の「新体力テスト」には、6歳から69歳までを対象とする共通項目が3つあるが、「長座体前屈」はこのうちの1項目である。この「長座体前屈」は、いわゆる立位体前屈を長座姿勢で行う従来型の長座体前屈ではなく、新しい発想にもとづいて考えられた測定法である。
測定法の問題点と課題
柔軟性を測定する目的で「立位体前屈」や「長座体前屈」が行われてきたが、従来型の測定方法にはいくつかの欠点があった。
①「立位体前屈」では床より高い台の上に立った姿勢から、両手を揃えて床方向に前屈姿勢を強めていくが、頭部も同時に下げていくので、頭部の血圧が上昇する。この姿勢は中高齢者を対象とした場合には危険性もあり、測定上の安全という点で問題が大きい。
②柔軟性のテストでありながら、実際には大腿背面の筋群(主としてハムストリングス)の相対的長さやストレッチに対する対応性が制限因子となる場合が多く、膝の裏側部分に痛みを伴うことが一般的である。
③この測定では、膝を完全に伸ばした姿勢で行うことが要求されているが、膝をやや緩めることによって成績が著しく向上する。中高年者のように膝が曲がっていたり、膝の具合が悪い人にとっては測定そのものが不適である。
④測定姿勢からもとの姿勢に戻すときに腰部への負担が大きい。
⑤若者のように脚が長く、特に下腿が相対的に長い人では、柔軟性の成績が悪くなる。
上記のような問題点を有していた。
「長座体前屈」は、特に安全性の点を考慮して「立位体前屈」の測定方法をそのまま長座姿勢で行うように工夫されたものであるが、安全性(①)という点以外では、上記の問題点は解決されていない。
相対的に脚の長い人が不利である(⑤)という問題点を解決するために、「初期姿勢」という考え方が提案された。この方法は、長座姿勢をとった時に測定値の計測原点(メモリがゼロとなる位置)を足底板に接した足裏の位置ではなく、背中を伸ばした姿勢で両手を揃え、肘を伸ばして指先を30cmの高さにある目盛版の上に置いた姿勢を「初期姿勢」とし、その時の指先の位置を計測原点としている。この方法を採用することによって、少なくとも「脚の長い人に不利」という問題点は緩和された。
「テーブル移動式長座体前屈」の発想
「テーブル移動式長座体前屈」は、基本的に小学1年生から中高齢者までが無理なく、「痛み」を伴わずにできる方法として考えられたものである。
「痛み」は基本的に足首の角度を90度の固定することから生じる。そこで柔軟性テストとして足首の角度に自由度があるように、足首開放型と姿勢とした。
両手の指先を揃えた姿勢では、肩関節周りの筋肉が発達した人では窮屈であるため両手を肩幅に開いた姿勢で前屈する方法とした。
テーブルに両手を載せ、両脚をテーブルの下に伸ばした長座姿勢でテーブルをレール上でスライドさせることにより、体重の一部が両手で支えられ、腰部への負担を軽減した。
テーブルの移動距離を柔軟性の指標とするが、原点(ゼロ)の位置は、背面板に背筋をしっかり伸ばした姿勢をとり、両手を伸ばしてテーブルに置いた「初期姿勢」をとった位置とした。テーブルの高さは、座高によって25cm、30cm、35cmの高さで調節できるようにした。
新しく考案した「テーブル移動式長座体前屈測定計」と従来の「立位体前屈」「長座体前屈」
での測定結果の比較、および「足首固定」の場合と「足首自由」の場合の比較、さらにテーブルの高さによる成績への影響、などについて測定実験を行った。その結果、従来の測定法の欠陥を補い、測定の信頼性も高いことが認められた。
文部科学省の「新体力テスト」では、背面板は通常の壁を利用し、テーブルはA4版のコピー用紙用のダンボール箱を2つ並べてその上に板を載せた簡易テーブルを用いることになっている。これは、測定装置がどこでも簡便に用意できるという配慮から工夫されたもので、本来は、「テーブル移動式長座体前屈測定計」を用いることが理想的である。
特許の申請について
文部科学省の「新体力テスト」では、「テーブル移動式長座体前屈測定計」が直接採用されることはなかった。それは高価な測定機器を購入しなければならない測定方法では、教育現場が対応できないという理由であった。テーブルを移動させて柔軟性を計るという発想や「テーブル移動式長座体前屈測定計」の発明は小林によるものであるが、このアイディアを日本の知的財産にしようと考えて文部省(当時)の特許とするように申し出たが、そのような例がなく、東京大学から特許出願することにより、国有特許とすることになった。
特許出願には多額の費用がかかるため、東京大学としても「発明委員会」を開催し内容を審査した上で、本件の特許申請を行うことが決定された。この場合、特許権を小林が東京大学に寄付するという形になっている。
特許出願の方法
特許を出願する場合に、一定の様式に従って書類を作成し、学内手続または個人で特許事務所を通して申請することができる。申請のみをする場合と、審査請求をする場合とがある。特許出願公開の後、審査を受けて拒否の理由がないと認められれば、特許証および特許番号が与えられる。これまでに類似のものがあると審査段階で「拒否」の結果となるが、論文審査の場合と同様に審査官とのやりとりができる。