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「スポーツ保育」への論考

体育・スポーツ教育への歴史的考察
「スポーツ保育」への論考
               小林寛道 (静岡産業大学特別教授)
            
(原題:スポーツ保育の概論)


この論文は、静岡産業大学発行「スポーツと人間」第2巻スポーツ保育特集号(2019)に、「スポーツ保育の概論」と題して掲載した内容のものである。
静岡産業大学では、「スポーツ保育」と題する幼児の教育実践を行ってきている。
「スポーツ保育」という語は、聞きなれないこともあり、その保育内容を「幼児期からスポーツ選手を養成するものなのか」といった誤解が生じることもある。また、保育にかかわる保育者自身が、「スポーツ保育」とは何か、と戸惑いを感じる場合もある。
文部科学省は、「幼児期運動指針」によって、幼児期からの運動の必要性を述べているが、幼児教育、保育の関係者の中には、幼児期には「遊び」が大切なのであって、「運動」という語はなじめない、とする考えや、まして「スポーツ」といった語は、幼児教育(保育)にとってふさわしいものではないという積極的な反対意見も見受けられる。
しかし、それらの意見の根底には、従来からの「保育」という概念を大切にする一方で、
幼児期の子どもの生活や教育の中で、「スポーツ」という言葉の意味や、子どもの心身の発達に関する教育哲学の歴史的背景について、やや理解の幅が狭いのではないかと感じられることがある。
この論文は、「スポーツ」という語の現代的な位置づけや社会的認知度を明らかにするとともに、子どもへの教育的働きかけを行う上で、教育哲学・思想に関して歴史的考察を行い、幼児期の運動指導に関する「スポーツ保育」としての視点を明らかにすることを意図したものである。

1. 「体育」から「スポーツ」という語への変換

文部科学省の関連組織として、2015年10月にスポーツ庁が設立され、我が国のスポーツの普及・発展に力が入れてられている。スポーツ庁は、スポーツ基本法(2011年成立)に基づいて設置が具体化したが、「スポーツ基本法」の前文は、「スポーツは、世界共通の人類の文化である」、という文言から始まっている。

我が国最初のIOC(国際オリンピック委員)であった加納治五郎は、1911年に大日本体育協会を設立させ、その設立趣意書に、我が国のスポーツ団体の組織化やスポーツの普及についての理想を描いている。1948年に日本体育協会(のちに公益財団法人日本体育協会)と名称変更され、中央競技団体や都道府県体育協会の中央組織として、国民体育大会(国体)の運営をはじめ、スポーツの発展と普及に多大な働きを果たしてきた。2018年4月に公益財団法人日本体育協会は、公益財団法人日本スポーツ協会に名称変更している。

我が国の科学技術や学術研究に不可欠な科学研究費補助金の項目の中で、複合領域の中に位置づけられていた「体育」という語はなくなり、「身体教育」や「スポーツ」に置き換えられている。毎年都道府県の持ち回りで開催されている国民体育大会は、近いうちに「国民スポーツ大会」に改称されることになるといわれている。大学の学部も体育学部の名称からスポーツ科学部、スポーツ健康学部、スポーツ人間学部など、スポーツという語がつかわれるようになり、「体育」という語は、義務教育課程での教科目として残される程度となった。
このように、わが国では「体育」という語は、「スポーツ」という語に置き換えられつつある。

幼児教育において用いられてきた「幼児体育」という考え方は、1990年の幼稚園教育要領の改訂によって姿を消し、「健康」の領域の中で扱われるようになった。静岡産業大学では、「幼児体育」の理念を生かしながら、「スポーツ保育」という名称で子どもたちの身体活動や遊びを大切にした新しい保育者養成を行っている。
幼児と「スポーツ」という語は結びつきにくい、という保育関係者や、スポーツ保育という名称の新しさに戸惑う人も少なくないと考えられる。しかし、体を動かして積極的な遊びや活動を行い、心身の発達を培うことを意図する「体育」という語は、国際的に通用する「スポーツ」をいう語にとって変わられつつあるのが現状であり、この流れを食い止めることは事実上難しいと考えられる。

「体育」と「スポーツ」の違いについて、特に組織の名称変更の場合などに激しい論争が行われてきた経緯がある。「日本体育学会」でも名称問題は30年以上議論され、とりあえず英語の名称の中に「スポーツ科学」を取り入れることで来ているが、体育という名称を残すか否かについて、議論が分かれ、ようやく、2021年から学会名を「日本体育スポーツ健康学会」と改称することになった。
「スポーツ」は、人間の文化的な営みの中で、現代および未来社会に向かって、無くてはならないものになりつつある。
本論文では、「体育」から「スポーツ」へという時代的な流れを背景として、「スポーツ保育」を理解する基盤として、哲学的・思想的な面からのアプローチを試みた。

2. 古典的な教育論・人間論について

遊びや運動に関連して、古典的な教育論や人間論の内容は、驚くほど現代の教育論や人間論に通じるところが少なくない。
この論文の筆者(小林)は、学生時代に水野忠文教授(1916~1991)(東京帝国大学倫理学科卒、東京大学名誉教授、日本女子体育大学学長、日本体育学会会長を歴任)に体育哲学・倫理および統計学の指導を受け、博士論文の主査となって頂いた。運動生理学や運動動作学を専門とする筆者であるが、哲学・倫理・歴史などの文科系学問に興味を持っているのは、水野教授の指導によるところが大きいかもしれない。

1966年に、水野忠文は「体育史概説―西洋・日本―」(共著)5)を出版している。この本の『西洋体育史』の部分が水野の執筆部分で、特に『プラトーン』に関するものが、オリジナルともいえる内容となっている。
プラトーン(427~347 B.C.)は、古代ギリシア最大の哲学者で、西洋哲学史上最高位にあるとされているにもかかわらず、プラトーンの体育思想については、それまで部分的に引用されるにすぎなかったという。水野は、プラトーンの代表的な著作の原典に当たり、その哲学にふれつつ「体育」に関する見解を詳細に考察した。(前掲書5)pp58)

プラトーンは、『「教育」とは、人が自然に生まれながらに持っている衝動を秩序へまで高めることであるとする。人は生まれた時はただ快と不快(苦痛)の感覚を持っているだけであるが、その快・不快の感覚をもとにして、習慣によって快を愛し、不快を嫌うようにしつけ、やがて愛すべきを愛し、嫌うべきを嫌うようにして、子どもの心に徳と不徳が芽生えるようにすること、これが正しい教育というものである。』と論じている。(前掲書5)pp75)

『運動の秩序は律動(リュツモス、リズム)であり、音声の秩序は調和(ハルモニア)である。教育はこの無秩序な衝動を知覚を用いてリュツモスとハルモニアへ導いていくことである。音声の秩序化がムシケー(音楽)であり、運動の秩序化がギムナスティケー(体育)である。(法律編Ⅱ巻、653-E,665-A, 672-C)』(前掲書5)pp75)

「体育も音楽と同じく、幼児から始めなければならない科目で、その練習は最もよく注意して、生涯続けなければならない」(前掲書5)pp69)
「3~6歳は子どもにとっては遊戯が必要で、この頃から子どもは自分で動きまわることができるようになり、十分遊ばせなくてはならない。しかし、この頃はわがままになりやすいから、それを同調させないように叱らなくてはならない。しかし、子どもをしかる場合、辱めたり、怒らせる事があってはならないが、叱らないためにわがままを増長させることがないように注意しなければならない。」(前掲書5)pp77)。

プラトーンが考える音楽とは、ホメーロスやヘシオドスなどの文芸作品中の物語や詩、それに韻律・奏楽を加えた広義の文育一般である。そして、ムシケーは、それらを通じて優美、調和、節制の徳を養い、最後には、美の愛を身につけて良く魂を教育するものである。(前掲書5)pp68)

アリストテレス(384~322 B.C.)は、20年間アカデメイアにおいてプラトーンに師事したが、37歳の時に師が没した。その後、アテナイを去ったが、49歳になって、アテナイに戻り、リュケイオンに新しい学校をたてて、研究と教育に専念した。(前掲書5)pp80)

アリストテレスの20余編の著作中には、体育を表題としたものはないから、その体育思想は、多くの著作の中から表現を介して把握しなければならないことは、プラトーンと同様である。最もまとまって体育に関して多く述べているのは、「ポリティカ(国家学)」の教育問題のところであるが、「ニコマコス(倫理学)」「レトリカ(弁論術)」などの中でもかなりそれに触れられている。(前掲書5)pp81)
「レトリカ(弁論術)」の中で、幸福の定義がなされている。アリストテレスの説く幸福の4者の内の一つに「自己の所有物である身体を保護し、それを使用する能力と結びついて所有物や身体の良い状態(Rhet.1360、b14~18)」があり、幸福を構成する12要素の一つに「健康・美・体力・立派な体格・競技能力などの身体卓越性」がある。身体の卓越性を生じさせるのは、ギムナスティケーである。

アリストテレスは、ギムナスティケーを健康や体力という身体的卓越性(ergon)を作り出す活動であるとみていることが明らかである。水野は、この見解は現代においても通用しているものであり、ギリシアが今日の世界の体育の源流をなす所以であるとみられる証拠となるものである、としている。(前掲書5)pp83)

ローマ時代になると、キケロが、幼い子どもの身心の全面陶冶を重視し、ローマの実学主義的傾向に対して、広い情操面や意志の教育を提案し、体育をあらゆる教育の基底として重んずべきことを唱えている。(金沢4)pp30)。クインティリアーヌスも、遊びの中に子どもの資質が最もよくあらわれると考えた。クインティリアーヌスの幼児教育論には、ルソーなどの近世・近代の教育論と一致するものを認めることができる。(前掲書4)pp37)

3.近世から近代における教育思想

モンテイニュー(1533~1592)は、ルネッサンス期の代表的な思想家で、その著「随想録」で有名である。「子どもの魂を鍛えるだけでは足りない。その筋肉をも鍛えてやらなければならない。魂は筋肉の助力を得ない時は、あまりにも圧迫されるのである(教育論1-26)」(前掲書5)pp115)。

水野は、「モンティニューの鍛練主義的な甘やかすなという考え方で精神と身体を同列で鍛えようというものであり、『身体の位置』がルネサンスを経て、ギリシア・ローマの考え方に戻ったといってよい」としている。(前掲書5)pp115)。

ジャン・ジャック・ルソー(1712~1778)は、フランスの哲学者であるが、政治哲学者、作家、作曲家でもあった。子どもの教育に関して、著作「エミール」または「教育について」が有名であり、「自然に還れ」と自然の重視性を主張し、子どもの教育に当たっては、「自然」「人間」「事物」の3者の協調の大切さを論じた。
それは、仮想の子ども<エミール>が生まれてから20歳までの成長過程を物語風に述べたもので、幼年期は身体育成が、少年期は知育、青年期は感情の教育が主となっている。(前掲書5)pp129)

自然はあらゆる試練によって子どもの体質を鍛える。季節や気候、環境の不順な変化、空腹、渇き、疲労なども子どもを鍛える要因である。肉体の発達を助けるあらゆる運動をすること、あらゆる姿勢で容易にしっかりと立つことができるようにし、また、遠く跳ぶこと、高く跳ぶこと、木に登ること、障壁を越えることもできるようにする。どの場合にも、身体の重心を失わないようにする。(前掲書4)pp82)
ルソーは、感覚的訓練について、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚などの五感を通して正しく判断することを学ぶこと、いわば感得することを学ぶことが課題となると記述している。(前掲書4)pp84)

「ヨーロッパは政治哲学者であるルソーによって近代的な体制へと急激に活動を開始するのであるが、体育もルソーの<エミール>の呼びかけで、学校体育の実践がドイツで始められた。ルソーの体育史、体育思想史上における意義はすこぶる大きいと思うべきである」と水野は述べている。(前掲書5)pp132)

ペスタロッチ(1746~1827)は、その教育理論で、頭、心臓、手、の調和的発達を中心原理とし、これらの3つは、知的教育、道徳教育、身体(技術)教育に対応する。身体教育を、技術の教育、または技能の教育として論じていることが一つの特色である。(前掲書5)pp145)
ペスタロッチは、技能の教育は、‘技術のイロハ’のメカニズムに基づいて行われなければならないと論じている。それは「極度に単純なものから極度に複雑なものへと漸次に進みつつ、心理学的確実さをもち、凡そ子どもたちがその完成を必要としているあらゆる技能において、日々容易にしていくように働く系列」である。(前掲書5)pp145)

技術の教育とは、「最も複雑な人間の技能の根本を含んでいる身体的諸力の最も単純な表現から出発しなければならない」ものであり、「打つこと、担うこと、投げること、突くこと、引くこと、廻すこと、格闘すること、握ること、等は、われわれの身体的諸力の最も著しい単純な表現である」。(前掲書5)pp145)
ペスタロッチは、職業労働との関連で技術教育を考えたが、それは、実際の生活において必要とされる諸能力を陶冶し、発達させることが重要であると考えた。(前掲書5)pp146)

フレーベル(1782-1852)はドイツの教育学者で、「幼稚園」(Kindergarten)の創設者として知られている。フレーベルは1839年に「幼児教育指導者講習科」を設けて毎年6カ月ずつ講習を行った。この講習の実習所として「遊戯および作業教育所」が設けられ、40~50人の子どもが毎日午後3時から3時45分まで、4つのグループにわけて遊戯を行った。これが「幼稚園」の前身である。これを「一般ドイツ幼稚園」と改名し、幼稚園(Kindergarten)の名はその後世界的に広まっていった。(前掲書4)pp98)
彼が考案した恩物(Gaben)(「神からの贈物」)と呼ばれる積木(遊具)は、子どもの遊びと作業に用いることによって、子どもの神性を無意識的に自己発展させ顕現させるためのものとした。
フレーベルが考案した遊具は6種である。フレーベルの幼児教育の特色は、子どもを創造的・活動的な生命と理解した点にあり、子どもの自己活動の表現としての「遊び」と「作業」を高く評価した。(前掲書4)pp99)

スペンサー(1820~1903)は、明治初年の日本の思想界に非常に大きな影響を残した。スペンサーの教育論は、知育・徳育・体育の3育思想の代表であり、その教育観は、大きな意義を持っている。スペンサーは、「運動としての体操(gymnastics)と遊び(play)とを比較し、体操は人為的で単調で身体の使用が特定部分に偏する故に、大自然によって促される遊びには、及ばないと指摘する」。(前掲書5)pp172)

4.遊びに関する文化論

ヨハン・ホイジンガ(1872~1945)は、代表的著作「中世の秋」(1919年)で歴史家として確固たる地位を築いていたが、65歳に当たる1938年に、「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人)3)を出版し、その第1行目に、「遊びは文化より古い」という書き出しで、後世に大きな影響を及ぼした文化論の本文を書き出している。

人類の名称は「ホモ・サピエンス」であり、作る人が「ホモ・ファべル」と呼ばれるので、遊ぶ人を「ホモ・ルーデンス」とした旨が序説に記述されている。(前掲書3)pp11)
この本は、文化史家としてのホイジンガの博学ぶりをいかんなく発揮した大作であるが、その章だては、1「文化現象としての遊びの本質と意味」、2「遊びの概念の発想とその言語表現」、3「文化創造の機能としての遊びと競技」、4「遊びと法律」、5「遊びと戦争」、6「遊びと知識」、7「遊びと詩」、8「詩的形成の機能」、9「哲学と遊びの形式」、10「芸術の遊びの形式」、11「遊びの相」のもとに見た文化と時代の変遷、12「現代文化における遊びの要素」、となっている。
その内容は、翻訳者の優れた力量によるものであろうが、一般に想像するよりもはるかに「読みやすい」文体となっている。

「動物はもう、人間とまったく同じように遊びをしている。遊びの基本的な相のすべては、すでに動物の戯れのなかにはっきりと現れている。子犬が遊び戯れているところを観察して見さえすればよい。遊びのあらゆる相が、その楽しげなじゃれ合いのなかに認められるだろう」。(前掲書3)pp15)

ホイジンガは、原始人の共同体の生活の中で、文化は「遊び」の形式と雰囲気の中で営まれていた、という。そして、「遊びから文化になる」ということではないとも述べている。(前掲書3)pp111)

 ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」の後を受け継いで、カイヨワによって「遊びと人間」7)が1958年に出版された。カイヨワは、ホイジンガの遊びの定義に批評を加え、遊びの分析が不十分であることを指摘している。
カイヨワは、数限りある遊びの分類を試みて、その区分を、「競争(アゴン)」、「偶然(アレア)」、「模擬(ミミクリ)」、「眩暈(めまい)(イリンクス)」、の4つとし、そのいずれかの役割が優位を占めているとした。(前掲書7)pp44)。
カイヨワは、これらの分類の内容について詳述すると共に、遊びの社会性、遊びの堕落、を述べ、第2部では、遊びの拡大理論、模擬と眩暈、競争と偶然、について論述している。

5.脳科学から見た多重知能理論

ハーバード大学の発達心理学者であるハワード・ガードナー(1943~)は、1983年に多重知能理論(MI理論1,2)を提示し、その後この理論を発展させ、人間の知能を8つの内容に分類している。それらの内容は、現代の脳科学の領域からも支持されている。

ガードナーは、当初、人間には、7つの別個の知能が存在すると提唱した2)。それらは、①言語的知能、②論理数学的知能、③音楽的知能、④身体運動的知能、⑤空間的知性、⑥対人的知能、⑦内省的知能、である。その後、「博物的知能」、「霊的知能」、および「道徳的知能」についても言及し、「霊的知能」は疑わしいこと、「道徳的知能」はみとめられないと結論付けた。(前掲書2)pp58)
ガードナーは、知能の構成について、様々な質問に対する論議を行っているが、翻訳者である松村(2008)は、MⅠ理論の解説の中で、「運動」の領域の内容を次のように示している。①体の制御:運動を効果的に計画、順序立て、実行すること。②リズムへの敏感さ:リズムに合わせて運動したり、自分でリズムを作れること。③表現力:体の動きで(言葉や音楽等の)ムードやイメージを表現すること。④動きのアイディアの生成:新しい動きのアイディアを(言葉や体で)創造すること。ダンスの振り付け。⑤音楽への敏感さ:ちがう種類の音楽にちがう反応をすること。⑥空間の意識:空間を機敏に動いて探索すること。他人の動きを予測すること。(前掲書2)pp314)。

 松村は、「社会の様々な分野で多様な能力を発揮できるよう子どもたちを育てるという教育の営みを考慮する時、学者も教師も一般の人々も、自ずから知能観について選択を迫られます。つまり、言語的あるいは論理数学的な能力だけを学力や知能として尊重して、音楽的なあるいは身体運動的能力等は教育の傍系の才能だとして軽視するのか、それとも多様な分野の能力・才能、そしてそれを持つ人々を同等に尊重するのか、という選択です」と記述している。(前掲書2)pp328,329)

知能とは、Intelligenceの翻訳であり、翻訳家によっては、これを知性と訳している。知能と知性は、いずれもIntelligenceの邦訳であり、もともとは同義語であると理解することができる。
 人間の文化や生活は、脳の働きと非常に密接に関連しているので、いかに知能を涵養するかということが教育面でも大きなテーマとなる。わが国の初等教育の学習内容には、国語、算数、理科、社会 音楽、体育、図画工作、家庭、生活、外国語(英語)といった科目が取り上げられているが、これらの内容は、8つの知性(知能)を養う内容と附合する部分が多いことに注目したい。

6.文部科学省の幼児期運動指針にみられる「認知的能力と運動」

「幼児期運動指針」6)(2013年)には、運動の意義として、①体力・運動能力の向上、②健康な体の育成、③意欲的な心の育成、④社会適応力の発達、⑤認知的能力の発達、の5項目が挙げられている。
21世紀は、「脳科学」が飛躍的に発展しつつある時代である。その意味で、運動が「体力や運動能力」といった面だけではなく、「認知的能力(脳の働き)」にも影響することを指摘した点で画期的であるといえよう。

まとめ

幼児期は、心や体の発達にとって、将来にわたる重要な時期である。文部科学省「幼児期運動指針」6)の発表を機に、幼児期の「運動」の重要性が認識され始めている。しかし、「幼児教育」や「保育」にかかわっている現場にとって、体を使った「遊び」ということであれば自然に受け入れられるが、「運動」という語を前面に出すことには抵抗感があるという意見も出されている。このことから、幼児期の運動に関連した「教育哲学・思想」について、歴史的経緯を踏まえながら概観してみた。
「スポーツ保育」は、こうした歴史的な教育論や人間の幼児期の運動の意義に関する哲学・倫理・思想を基礎としながら、現代および近未来を生きる人としての生き方を支える身体的・精神的な基盤を培うことに有効な役割を持つと考えられる。

参考文献
1)ハワード・ガードナー(松村暢隆 訳).MI:個性を生かす多重知能の理論 新曜社 2008
2)Howard Gardner(黒上晴夫 監訳).多元的知能の世界 日本文教出版 1993
3)ホイジンガ(高橋英夫訳).ホモ・ルーデンス 中公文庫(中央公論新社)1973初版、2005年26版 
4)金沢勝夫 下山田裕彦.幼児の教育思想 ~ギリシアからボルノウまで~ 川島書店 1974
5)水野忠文、木下秀明、渡辺 融、木村吉次.「体育史概説―西洋・日本―」 体育の科学社(杏林書院)1966
6)文部科学省[幼児期運動指針策定委員会].幼児期運動指針 2012 (インターネットでダウンロード可能:幼児期運動指針 または幼児期運動指針ガイドブック)
7)ロジェ・カイヨワ(多田道太郎、塚田幹夫訳).遊びと人間 講談社学術文庫(講談社) 1990初版、1993第6刷


掲載日:2020年1月31日(小林寛道)

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