「十坪ジム」の10年とこれから
この文章は、平成29年11月28日に柏市の「アミュゼ柏の葉」を会場にして、「十坪ジム10周年記念シンポジウム」(参加者400名)において講演した講演の内容です。
これは、柏市内でNPO法人東大スポーツ健康マネジメント研究会が運営する「十坪ジム」(平成29年現在9店舗)が運営開始10周年を迎えたことによる記念催事としてのシンポジウムです。
演者 小林寛道 (東京大学名誉教授・静岡産業大学特別教授)
(NPO法人東大スポーツ健康マネジメント研究会 理事長)
「十坪ジム」とは何か?
十坪ジムは、10~15坪(33~45㎡)ほどのスペースに、認知動作型トレーニングマシンが7~10台ほど設置された小規模トレーニングジムである。柏市内では、主として高齢者が利用対象になっており、NPO法人東大スポーツ健康マネジメント研究会が運営管理する「十坪ジム」は9カ所、会員数は約1550人である。民間の運営を含めると、「十坪ジム」は、全国で20カ所存在する
十坪ジムは、なぜ柏市に多いのか?
東京大学柏キャンパスが2000年に柏市柏の葉5丁目に開設され、2004年に柏Ⅱキャンパスが、柏の葉6丁目に開設された。つくばエクスプレスが2005年8月に開通した。柏Ⅱキャンパスに「東京大学大学院新領域創成科学研究科付属生涯スポーツ健康科学研究センター」が開設され、小林が初代センター長として、認知動作型トレーニングのトレーニング研究を開始した。
東京大学も参加した官民合同のコンソーシアムが経済産業省の「新健康産業創生補助金」(1年間のみ 7千万円)を得て、3カ所、4店舗で「十坪ジム」を開設(増尾、柏駅東口、かやの町A・B)(会費無料)。
コンソーシアムの中核企業であった民間企業(柏スポウェル)が店舗を運営するが、採算性が取れず、撤退。NPO法人東大スポーツ健康マネジメント研究会(理事長 小林)を設立して運営を引き取り、その後9店舗まで拡大した。
平成29年11月現在に店舗は、次のとおりである。
増尾、柏駅東口、かやの町、柏駅西口、新柏、緑が丘、光が丘、明原、松葉町。
「十坪ジム」の指導者は、市民の有志者を募集し、書類選考のうえ、東京大学柏Ⅱキャンパスで4日間の指導者養成講習会(1コマ90分、16コマ)を開催し、合格者に「十坪ジム指導者」の資格認定を行うとともに、指導者は、NPO法人東大スポーツ健康マネジメント研究会の会員として登録することを義務とした。この10年間に指導者を155名養成したが、現在の実働者は70名である。10年間継続して指導を行っている人たちが多い。
認知動作型トレーニングの特徴は?
国際的な健康づくりの推奨内容は、①有酸素運動、②筋力トレーニング(アウター マッスル)、③運動バランス(ロコモ・転倒予防)である。認知動作型トレーニングでは、①動作の質(QOM)の向上、体幹深部筋の意識的利用(インナー マッスル)、③脳機能の活性化(ブレイン アクティビティ)を目指すことが目的とされる。また、認知動作型トレーニングを実施することの効果として、①筋・神経系のバランスの向上、②柔軟性の向上(関節可動域の拡大)、③疲労感の軽減、④自立神経系の調節改善、⑤自覚的体調の向上、⑥内臓機能の向上(健康診断の血液性状の改善)、などが挙げられる。
認知動作型トレーニングの構成は?
認知動作型トレーニングは、①歩行(コアストレッチ ウォーキング)、②体操(大腰筋体操)、③マシントレーニング(認知動作型トレーニングマシン)の3つから構成されている。歩行は、大腰筋ウォーキングとも呼ばれ、骨盤を有効利用した歩き方である。「十坪ジム」では、競歩の20KM日本記録保持者 柳澤 哲(さとし)氏(オリンピック競歩競技解説者)や樋熊敬史氏(競歩選手)が、歩行運動の指導を行ってきた。大腰筋体操は、樋熊敬史氏や日本体育大学体操部出身の宮坂幸子氏が指導を行ってきている。
マシントレーニングは、「十坪ジム」で行われている。
認知動作型トレーニングの「認知」とは何か?
認知とは、人間の脳活動の高次の知的機能をさす。認知症とは、厚生労働省が定めた病名で、以前は痴呆症と呼ばれていた。これを認知機能失調症という意味で認知症に名称変更した。認知動作型トレーニングマシンは、厚生労働省(当時は厚生省)が、病名の名称変更を行う前から用いていた名称なので、そのまま用いている。認知症との特別な関わり合いはない。
もともとは、認知科学を意識して認知動作型トレーニングと名付けられている。
認知科学とは、日本認知科学会(1983年設立)の説明によれば、情報処理の観点から、知的システムと知能の性質を理解しようとする研究分野で、心理学、人工知能、言語学、人類学、脳神経科学、哲学、社会学などの学際領域である。
環境の中に生きる存在としての人間の「心」「意識」「思考」「行為」「知覚」「記憶」などを情報処理的プロセスとして研究する学問として、1950年代に端を発し、1970年代に提唱されるようになった。
なお、認知科学の中には、運動や動作に関する領域が含まれていない。運動や動作には、心理的要素や脳の働きが含まれているにもかかわらず、学会の研究領域として含まれていないのは、学会の創設期に、運動や動作に関する分野の研究者が参加していなかったことによると推察される。近年では、運動と脳の関係は、脳神経科学の領域では、非常に重要なジャンルとなっている。ちなみに、「認知動作型トレーニング」という名称は、小林の創案によるオリジナル用語で、学術的に認められた名称というわけではない。
高齢者にとっての認知動作型トレーニング(QOMトレーニング)の特徴は?
認知動作型トレーニングは、動作の質(QOM)を高めるということに特徴があり、姿勢の矯正や、日常動作や運動を行う際の正しい身体の使い方が身につくことが、ほかのトレーニングにはみられない最大の特徴ということができる。
高齢になってもしっかりした姿勢を保ち、歩行や日常生活に必要な動作を自然に行うことができればよいと考えられる。
そのためのトレーニングは、筋肉に無理な負荷をかけることなく、動きにかかわる基本的な動作の組み立てを体で学習する、という考え方が大切になる。
そのようなトレーニングを可能とするために、次のようなコンセプトが認知動作型トレーニングには生かされている。
1.無理な力が身体部位にかからない
(正しい姿勢バランス、体軸と体重の移動が基本)
2.筋肉痛が起きにくい
(力んだ筋力発揮をしない。おもりを負荷としない)
3.血圧の上昇が少ない
(重力加速度の影響が少ない)
4.多軸性・複合性の動きから成り立つ
5.ゆっくりとしたリズムで動作する
「十坪ジム」の会員数の推移は?
経済産業省の補助のもとに、コンソーシアム(産学官協同体)として実施された最初の「十坪ジム」事業では、参加者は5か月間無料で行われた。柏市を窓口として参加者を募集したところ、定員を大幅に上回る1000人の市民が参加を希望した。このため柏市は、1000人を収容できる「十坪ジム」の設置を、その後の運営母体となるNPO法人東大スポーツ健康マネジメント研究会に要望した。そして、当初3年間に限り、参加者に対する参加費補助、および運営に対する家賃補助、研修会や講演会など普及広報にかかわる費用として2700万円を上限とする実費補助を行う支援策をこうじてくれた。
「十坪ジム」の無料期間に、柏市の要望をかなえるために自己資金(銀行借り入れ等)で設備投資(マシン設備など、資産となるものには補助金は利用できない)を行った。そのうえで無料から有料化(週4回、月額3500円)を図ったところ、1000名の会員収容予定が、2007年3月時点で有料会員はわずか334人であった。1000人を損益分岐点とするには程遠い人数であった。その後の会員獲得努力によって、2009年にはようやく会員数1000人に達した。会員1000名を超えたお祝いの会には、本多晃柏市長もみえて、会員3000人になれば、高齢者の健康問題にも明るい効果が表れることは間違いないとスピーチされた。2011年には、会員数が1600人となり、その後1500~1650人の範囲で推移している。
テレビで「十坪ジム」が紹介されたときは、1700名を超える会員数があった。
2009年には、政権交代があり、「十坪ジム」に対する補助金は、「事業仕分け」のもとに「補助金ゼロ」の決定がなされ、その後NPO法人東大スポーツ健康マネジメント研究会は、完全自主運営体制を貫き、苦しい財政をやりくりしながらなんとか運営を継続して、ここに10年目を迎えている。
「十坪ジム」の会員の年齢構成や男女比は?
2007年にNPO法人が運営管理するようになってからの会員定着率は約65%である。当初から10年間の継続会員も、2017年11月現在172人おり、当初の会員は10歳年齢が高くなっている。2017年現在の会員の年齢構成は、70歳代38.6%、60歳代31.2%、80歳代16.8%、50歳代7.8%、40歳代2.4%、20歳代1.1%、90歳代1.0%、10歳代と20歳代は1%以下となっている。
すなわち、「十坪ジム」会員の77.4%は、65歳以上の高齢者である。
男女比では、女性が78.9%、男性が26.1%で、女性が圧倒的に多い。また、居住地区では、柏市内が88.5%、柏市以外が11.5%である。
女性の会員数が多いことは、女性の健康意識(健康リテラシー)が高いこと、健康に対する取り組みの姿勢が積極的であることを反映している。女性は、男性に比較して寿命が長く、100歳以上の高齢者も女性が圧倒的に多い。また、高齢者では、女性の医療費は男性の医療費の2倍であり、寿命が長いことから認知症にかかる人数も多い。このために、高齢期の女性が「十坪ジム」に通うことの意義は非常に大きいということができる。
柏市の年齢別人口からみた10年後の予測は?
柏市の人口は約40万人であるが、高齢化率は約23%である。ただし、柏では、地域(地区)によって高齢化率には大きな差異があり、一概に平均値だけで、述べることはできない。
最も高齢化率が高いのは、豊四季台団地である。また、昭和30年代に大規模開発が行われ、住宅地化された地区では高齢化率が、今後さらに高くなる。
年齢別人口を見ると、全体では、全国平均と同じような壺型であるが、65歳以上の人口では、ピラミッド型をしている。現在は、ピラミッド型の底辺が65~69歳の年齢層であるが、2025年(7年後)には、75~79歳をピークとした形になる。2035年(17年後)には、男性の数は女性の2分の1以下になるが、女性では90~95歳の年齢で女性が1万人に対して男性は4200人程であると予想されている。
2035年の予測の中で、75~95歳以上の女性が4万人と予想されているので、この中に「十坪ジム」経験者が多く含まれると考えられる。この時、高年齢にかかわらず「十坪ジム」に通っている人は元気で、やっぱり「十坪ジム」に通っていてよかったということになると期待される。
「十坪ジム」を、どうして思いついたのですか?
小林先生は、「十坪ジム」というものをどうして思いついたのですか、という質問を受けることがある。その発想の源流をたどれば、小学校時代からの教育や研究の過程から生まれて来たということができる。
小林は、昭和25年(終戦5年目) 東京都世田谷区立経堂小学校に入学しているが、その時の経堂小学校の校長は、遠藤五郎氏であった。遠藤校長は、後に中央教育審議会委員となり、中教審答申として池田勇人内閣に「人つくり政策」を提言している。
遠藤校長は、小学校の児童に「新しい日本の国は、皆さんのような若い人たちによって築かれるのです」 と語りかけ、毎週の朝礼の講話によって、勤労の尊さ、心の豊さ、社会への貢献、人や物・自然を大切にする精神、などを説いた。我々は、小学生という幼い子どもたちであったが、姿勢を正して、校長先生の熱の入った話を身近なものとして受け入れた。
中学校は、世田谷区立緑が丘中学校 に入学した。担任だった美術教科の教諭であった寒川典美先生(東京芸大卒 彫刻家)は、芸術の自由さ、発想の奇抜さ、食らいつく精神、表現の方法、ミケランジェロなどの天才の手法、透視法、などについて、芸術図鑑などを手にもって 熱っぽい授業を行ってくれた。また、職業家庭科の授業で、製図盤をもちいた立体透視画法を学習した。この技術は、後に認知動作型トレーニングマシンを設計する場合に役立った。
高校は、東京都立新宿高校に入学した。新宿高校は、当時日比谷高校、戸山高校、西高校などと肩を並べる都立の有名な進学校で、わたくしの同学年では、110人が東京大学に進学している。好きな科目は、国語と体育であった。国語は、古文、漢文、現代文があった。漢文は、漢詩によってその思想が伝えられるが、君子の道を説くものより、老荘思想の根底にある精神に興味を持った。
有名な言葉ではあるが、「桃李不言、下自成蹊」(史記:李将軍伝賛)「桃李ものいわざれど、下おのずから蹊をなす」という一説が好きである。
体育の教員に塚脇伸作先生 (体操、五輪銀メダリスト、後に早稲田大学教授)おられ、 スポーツの演技のすばらしさと、日頃からまじめに練習に取り組むことの大切さを学んだ。
大学は、東京大学文科3類に入学し、陸上運動部に所属し、中距離パートに属した。3,4年生は本郷キャンパスの教育学部体育学健康教育学科に進学し、猪飼道夫教授の門下生となり、運動生理学を卒論テーマとした。大学院は教育学研究科体育学専門課程に進んだが、安田講堂事件など学生運動が激しく、落ち着いた勉学環境ではなかった。修士論文を提出して、博士課程には進まず、1970年名古屋大学教養部に文部技官・教務員として就職し、本格的な研究活動を開始した。
名古屋大学教員時代は、体力科学(運動生理学)からのアプローチを行い、最大酸素摂取量(Maximum Oxygen Intake)を指標とした発育発達と老化の過程、およびトレーニングの影響に関する研究を遂行。カリフォルニア大学サンタバーバラ校環境ストレス研究所に留学。1977年に学位論文を提出し、教育学博士となる。学位論文の内容は、当時は出版物(本)にすることが義務付けられていた。 学位論文の出版は、「日本人のエアロビックパワー 加齢による体力推移とトレーニングの影響」(杏林書院1982 総ページ数322頁)である。
子ども・中高校生、選手、中高齢者を対象とした最大酸素摂取量の測定(1970~1990年)
思春期発育期の体力・運動能力の発達には、幼児期からの運動の実施が影響することを個人別の追跡測定から明らかにした。20歳代から70歳代までの運動習慣のある人と無い人の比較を行い、ランニングの習慣をもつ人を、追跡測定した。70歳代の人では、急激な体力の低下がみられる例が見られた。90歳のランナーの測定も実施した。
その結果、有酸素能力を指標とした体力は、幼児期からの運動が大切であり、その効果は思春期発育期に顕著に表れて、ピークの高さに影響する。体力のピークは、10代後半から20歳代に現れるが、その後、この水準を超えることはなく、加齢に伴って低下する。年齢に伴う体力の低下は、体力水準にかかわらず、ほぼ同じような割合で進行するので、ピークが低い人では、年齢が早い段階で低体力状態が生じる。ピークが高い人では、高齢期でも相対的に高い水準を維持できる。
病気は、急激な体力低下を生じさせるので、病気にならないように予防することが大切である。
有酸素的体力が大切であるとされるが、最大酸素摂取量の値が必ずしも大きくなくても、健康で生きることは可能である。80歳代のマラソンランナーを測定した結果でも、最大酸素摂取量の値は、体重当たり25~35ml/分程度であり、それほど高い値ではなかった。高齢者では、最大酸素摂取量の値にあまりこだわらなくてよいのではないかという感触を持った。
高齢者を対象とした運動指導教室での指導
1980~1990年、愛知県厚生年金会館にて年金受給者対象の運動指導教室の指導者として、
この期間500名の高齢者を指導した。医師、保健師、管理栄養士、運動指導者がチームを組んで、高齢者の健康増進を図る我が国最初の試みであった。
このプロジェクトは、東京学芸大学の小野三嗣教授(医学博士)の発案によるもので、画期的なものであり、毎年、高齢者の指導に関する研究・研修会も行われた。その後、厚生年金事業財団(厚生団)の組織改編や、厚生年金センターの民間へ移行などがあり、事業は廃止された。
この指導を通じて、高齢者のトレーニングの可能性や、あるべき健康づくりの方法、運動の方法について、新しい工夫が必要であることを感じた。
スポーツ科学の研究と「十坪ジム」との関係はどこにあるのですか?
日本陸上競技連盟科学委員長(1989~2004)として、オリンピックを目指した選手の強化にあたった。マラソンの暑さ対策、高地トレーニング、医科学サポート活動に従事したが、短距離種目の強化にも力を入れた。バイオメカニクス研究班を組織し、当時世界記録保持者であったカールルイス選手をはじめ、世界一流選手の走技術の分析にあたった。その結果、世界一流選手では、脚全体をすばやく動かしており、そのような動作をするためには体幹深部にある筋群を有効に働かせることが必要であることに気付いた(1992年頃)。
そのことを多くの人が体験できるように、『足が速くなるマシン』(スプリントトレーニングマシン)を開発した(1995年)。その後、車軸移動式パワーバイク、和船漕ぎマシン、アニマルウォークマシン、大股ストレッチマシンなどを開発した。
東京大学生涯スポーツ健康科学研究センターや静岡県総合健康センターで、認知動作型トレーニングマシンを用いて、トレーニング実験を行い、認知動作型トレーニングが、体幹深部筋の(インナーマッスル)の代表である大腰筋の肥大を導くことを明らかにした。
5年間の追跡測定の結果、高齢者の健康増進に有効であり、特に歩行能力の改善に有効であることを明らかにした。また、近赤外光酸素化動態モニター装置(fNIRStation 島津製作所)を用いて、運動中の脳内活動の様子をモニターし、認知動作型トレーニングマシンは、脳内の活動を促すことが明らかになった。認知症の予防にも有効であることが期待される。
まとめ
「十坪ジム」でのトレーニングは、身体を有効にトレーニングすることによって、「脳」と「身体(からだ)」と「こころ」のバランスを整え、生活行動や身体活動、運動能力を高めることができる。
すなわち、「脳」とは、神経系調節機能、認知機能を指す。「身体(からだ)」とは、運動器官、内臓、血管、感覚器官などの機能を指し、「こころ」とは、意欲、生きがい、社会性を指す。
「十坪ジム」は、高齢社会において、多くの人にとって心身の健康を保持増進させ、健康寿命を延伸させる効果を持つと考えられる。
以上(2017・12・25記)
この文章は、平成29年11月28日に柏市の「アミュゼ柏の葉」を会場にして、「十坪ジム10周年記念シンポジウム」(参加者400名)において講演した講演の内容です。
これは、柏市内でNPO法人東大スポーツ健康マネジメント研究会が運営する「十坪ジム」(平成29年現在9店舗)が運営開始10周年を迎えたことによる記念催事としてのシンポジウムです。
演者 小林寛道 (東京大学名誉教授・静岡産業大学特別教授)
(NPO法人東大スポーツ健康マネジメント研究会 理事長)
「十坪ジム」とは何か?
十坪ジムは、10~15坪(33~45㎡)ほどのスペースに、認知動作型トレーニングマシンが7~10台ほど設置された小規模トレーニングジムである。柏市内では、主として高齢者が利用対象になっており、NPO法人東大スポーツ健康マネジメント研究会が運営管理する「十坪ジム」は9カ所、会員数は約1550人である。民間の運営を含めると、「十坪ジム」は、全国で20カ所存在する
十坪ジムは、なぜ柏市に多いのか?
東京大学柏キャンパスが2000年に柏市柏の葉5丁目に開設され、2004年に柏Ⅱキャンパスが、柏の葉6丁目に開設された。つくばエクスプレスが2005年8月に開通した。柏Ⅱキャンパスに「東京大学大学院新領域創成科学研究科付属生涯スポーツ健康科学研究センター」が開設され、小林が初代センター長として、認知動作型トレーニングのトレーニング研究を開始した。
東京大学も参加した官民合同のコンソーシアムが経済産業省の「新健康産業創生補助金」(1年間のみ 7千万円)を得て、3カ所、4店舗で「十坪ジム」を開設(増尾、柏駅東口、かやの町A・B)(会費無料)。
コンソーシアムの中核企業であった民間企業(柏スポウェル)が店舗を運営するが、採算性が取れず、撤退。NPO法人東大スポーツ健康マネジメント研究会(理事長 小林)を設立して運営を引き取り、その後9店舗まで拡大した。
平成29年11月現在に店舗は、次のとおりである。
増尾、柏駅東口、かやの町、柏駅西口、新柏、緑が丘、光が丘、明原、松葉町。
「十坪ジム」の指導者は、市民の有志者を募集し、書類選考のうえ、東京大学柏Ⅱキャンパスで4日間の指導者養成講習会(1コマ90分、16コマ)を開催し、合格者に「十坪ジム指導者」の資格認定を行うとともに、指導者は、NPO法人東大スポーツ健康マネジメント研究会の会員として登録することを義務とした。この10年間に指導者を155名養成したが、現在の実働者は70名である。10年間継続して指導を行っている人たちが多い。
認知動作型トレーニングの特徴は?
国際的な健康づくりの推奨内容は、①有酸素運動、②筋力トレーニング(アウター マッスル)、③運動バランス(ロコモ・転倒予防)である。認知動作型トレーニングでは、①動作の質(QOM)の向上、体幹深部筋の意識的利用(インナー マッスル)、③脳機能の活性化(ブレイン アクティビティ)を目指すことが目的とされる。また、認知動作型トレーニングを実施することの効果として、①筋・神経系のバランスの向上、②柔軟性の向上(関節可動域の拡大)、③疲労感の軽減、④自立神経系の調節改善、⑤自覚的体調の向上、⑥内臓機能の向上(健康診断の血液性状の改善)、などが挙げられる。
認知動作型トレーニングの構成は?
認知動作型トレーニングは、①歩行(コアストレッチ ウォーキング)、②体操(大腰筋体操)、③マシントレーニング(認知動作型トレーニングマシン)の3つから構成されている。歩行は、大腰筋ウォーキングとも呼ばれ、骨盤を有効利用した歩き方である。「十坪ジム」では、競歩の20KM日本記録保持者 柳澤 哲(さとし)氏(オリンピック競歩競技解説者)や樋熊敬史氏(競歩選手)が、歩行運動の指導を行ってきた。大腰筋体操は、樋熊敬史氏や日本体育大学体操部出身の宮坂幸子氏が指導を行ってきている。
マシントレーニングは、「十坪ジム」で行われている。
認知動作型トレーニングの「認知」とは何か?
認知とは、人間の脳活動の高次の知的機能をさす。認知症とは、厚生労働省が定めた病名で、以前は痴呆症と呼ばれていた。これを認知機能失調症という意味で認知症に名称変更した。認知動作型トレーニングマシンは、厚生労働省(当時は厚生省)が、病名の名称変更を行う前から用いていた名称なので、そのまま用いている。認知症との特別な関わり合いはない。
もともとは、認知科学を意識して認知動作型トレーニングと名付けられている。
認知科学とは、日本認知科学会(1983年設立)の説明によれば、情報処理の観点から、知的システムと知能の性質を理解しようとする研究分野で、心理学、人工知能、言語学、人類学、脳神経科学、哲学、社会学などの学際領域である。
環境の中に生きる存在としての人間の「心」「意識」「思考」「行為」「知覚」「記憶」などを情報処理的プロセスとして研究する学問として、1950年代に端を発し、1970年代に提唱されるようになった。
なお、認知科学の中には、運動や動作に関する領域が含まれていない。運動や動作には、心理的要素や脳の働きが含まれているにもかかわらず、学会の研究領域として含まれていないのは、学会の創設期に、運動や動作に関する分野の研究者が参加していなかったことによると推察される。近年では、運動と脳の関係は、脳神経科学の領域では、非常に重要なジャンルとなっている。ちなみに、「認知動作型トレーニング」という名称は、小林の創案によるオリジナル用語で、学術的に認められた名称というわけではない。
高齢者にとっての認知動作型トレーニング(QOMトレーニング)の特徴は?
認知動作型トレーニングは、動作の質(QOM)を高めるということに特徴があり、姿勢の矯正や、日常動作や運動を行う際の正しい身体の使い方が身につくことが、ほかのトレーニングにはみられない最大の特徴ということができる。
高齢になってもしっかりした姿勢を保ち、歩行や日常生活に必要な動作を自然に行うことができればよいと考えられる。
そのためのトレーニングは、筋肉に無理な負荷をかけることなく、動きにかかわる基本的な動作の組み立てを体で学習する、という考え方が大切になる。
そのようなトレーニングを可能とするために、次のようなコンセプトが認知動作型トレーニングには生かされている。
1.無理な力が身体部位にかからない
(正しい姿勢バランス、体軸と体重の移動が基本)
2.筋肉痛が起きにくい
(力んだ筋力発揮をしない。おもりを負荷としない)
3.血圧の上昇が少ない
(重力加速度の影響が少ない)
4.多軸性・複合性の動きから成り立つ
5.ゆっくりとしたリズムで動作する
「十坪ジム」の会員数の推移は?
経済産業省の補助のもとに、コンソーシアム(産学官協同体)として実施された最初の「十坪ジム」事業では、参加者は5か月間無料で行われた。柏市を窓口として参加者を募集したところ、定員を大幅に上回る1000人の市民が参加を希望した。このため柏市は、1000人を収容できる「十坪ジム」の設置を、その後の運営母体となるNPO法人東大スポーツ健康マネジメント研究会に要望した。そして、当初3年間に限り、参加者に対する参加費補助、および運営に対する家賃補助、研修会や講演会など普及広報にかかわる費用として2700万円を上限とする実費補助を行う支援策をこうじてくれた。
「十坪ジム」の無料期間に、柏市の要望をかなえるために自己資金(銀行借り入れ等)で設備投資(マシン設備など、資産となるものには補助金は利用できない)を行った。そのうえで無料から有料化(週4回、月額3500円)を図ったところ、1000名の会員収容予定が、2007年3月時点で有料会員はわずか334人であった。1000人を損益分岐点とするには程遠い人数であった。その後の会員獲得努力によって、2009年にはようやく会員数1000人に達した。会員1000名を超えたお祝いの会には、本多晃柏市長もみえて、会員3000人になれば、高齢者の健康問題にも明るい効果が表れることは間違いないとスピーチされた。2011年には、会員数が1600人となり、その後1500~1650人の範囲で推移している。
テレビで「十坪ジム」が紹介されたときは、1700名を超える会員数があった。
2009年には、政権交代があり、「十坪ジム」に対する補助金は、「事業仕分け」のもとに「補助金ゼロ」の決定がなされ、その後NPO法人東大スポーツ健康マネジメント研究会は、完全自主運営体制を貫き、苦しい財政をやりくりしながらなんとか運営を継続して、ここに10年目を迎えている。
「十坪ジム」の会員の年齢構成や男女比は?
2007年にNPO法人が運営管理するようになってからの会員定着率は約65%である。当初から10年間の継続会員も、2017年11月現在172人おり、当初の会員は10歳年齢が高くなっている。2017年現在の会員の年齢構成は、70歳代38.6%、60歳代31.2%、80歳代16.8%、50歳代7.8%、40歳代2.4%、20歳代1.1%、90歳代1.0%、10歳代と20歳代は1%以下となっている。
すなわち、「十坪ジム」会員の77.4%は、65歳以上の高齢者である。
男女比では、女性が78.9%、男性が26.1%で、女性が圧倒的に多い。また、居住地区では、柏市内が88.5%、柏市以外が11.5%である。
女性の会員数が多いことは、女性の健康意識(健康リテラシー)が高いこと、健康に対する取り組みの姿勢が積極的であることを反映している。女性は、男性に比較して寿命が長く、100歳以上の高齢者も女性が圧倒的に多い。また、高齢者では、女性の医療費は男性の医療費の2倍であり、寿命が長いことから認知症にかかる人数も多い。このために、高齢期の女性が「十坪ジム」に通うことの意義は非常に大きいということができる。
柏市の年齢別人口からみた10年後の予測は?
柏市の人口は約40万人であるが、高齢化率は約23%である。ただし、柏では、地域(地区)によって高齢化率には大きな差異があり、一概に平均値だけで、述べることはできない。
最も高齢化率が高いのは、豊四季台団地である。また、昭和30年代に大規模開発が行われ、住宅地化された地区では高齢化率が、今後さらに高くなる。
年齢別人口を見ると、全体では、全国平均と同じような壺型であるが、65歳以上の人口では、ピラミッド型をしている。現在は、ピラミッド型の底辺が65~69歳の年齢層であるが、2025年(7年後)には、75~79歳をピークとした形になる。2035年(17年後)には、男性の数は女性の2分の1以下になるが、女性では90~95歳の年齢で女性が1万人に対して男性は4200人程であると予想されている。
2035年の予測の中で、75~95歳以上の女性が4万人と予想されているので、この中に「十坪ジム」経験者が多く含まれると考えられる。この時、高年齢にかかわらず「十坪ジム」に通っている人は元気で、やっぱり「十坪ジム」に通っていてよかったということになると期待される。
「十坪ジム」を、どうして思いついたのですか?
小林先生は、「十坪ジム」というものをどうして思いついたのですか、という質問を受けることがある。その発想の源流をたどれば、小学校時代からの教育や研究の過程から生まれて来たということができる。
小林は、昭和25年(終戦5年目) 東京都世田谷区立経堂小学校に入学しているが、その時の経堂小学校の校長は、遠藤五郎氏であった。遠藤校長は、後に中央教育審議会委員となり、中教審答申として池田勇人内閣に「人つくり政策」を提言している。
遠藤校長は、小学校の児童に「新しい日本の国は、皆さんのような若い人たちによって築かれるのです」 と語りかけ、毎週の朝礼の講話によって、勤労の尊さ、心の豊さ、社会への貢献、人や物・自然を大切にする精神、などを説いた。我々は、小学生という幼い子どもたちであったが、姿勢を正して、校長先生の熱の入った話を身近なものとして受け入れた。
中学校は、世田谷区立緑が丘中学校 に入学した。担任だった美術教科の教諭であった寒川典美先生(東京芸大卒 彫刻家)は、芸術の自由さ、発想の奇抜さ、食らいつく精神、表現の方法、ミケランジェロなどの天才の手法、透視法、などについて、芸術図鑑などを手にもって 熱っぽい授業を行ってくれた。また、職業家庭科の授業で、製図盤をもちいた立体透視画法を学習した。この技術は、後に認知動作型トレーニングマシンを設計する場合に役立った。
高校は、東京都立新宿高校に入学した。新宿高校は、当時日比谷高校、戸山高校、西高校などと肩を並べる都立の有名な進学校で、わたくしの同学年では、110人が東京大学に進学している。好きな科目は、国語と体育であった。国語は、古文、漢文、現代文があった。漢文は、漢詩によってその思想が伝えられるが、君子の道を説くものより、老荘思想の根底にある精神に興味を持った。
有名な言葉ではあるが、「桃李不言、下自成蹊」(史記:李将軍伝賛)「桃李ものいわざれど、下おのずから蹊をなす」という一説が好きである。
体育の教員に塚脇伸作先生 (体操、五輪銀メダリスト、後に早稲田大学教授)おられ、 スポーツの演技のすばらしさと、日頃からまじめに練習に取り組むことの大切さを学んだ。
大学は、東京大学文科3類に入学し、陸上運動部に所属し、中距離パートに属した。3,4年生は本郷キャンパスの教育学部体育学健康教育学科に進学し、猪飼道夫教授の門下生となり、運動生理学を卒論テーマとした。大学院は教育学研究科体育学専門課程に進んだが、安田講堂事件など学生運動が激しく、落ち着いた勉学環境ではなかった。修士論文を提出して、博士課程には進まず、1970年名古屋大学教養部に文部技官・教務員として就職し、本格的な研究活動を開始した。
名古屋大学教員時代は、体力科学(運動生理学)からのアプローチを行い、最大酸素摂取量(Maximum Oxygen Intake)を指標とした発育発達と老化の過程、およびトレーニングの影響に関する研究を遂行。カリフォルニア大学サンタバーバラ校環境ストレス研究所に留学。1977年に学位論文を提出し、教育学博士となる。学位論文の内容は、当時は出版物(本)にすることが義務付けられていた。 学位論文の出版は、「日本人のエアロビックパワー 加齢による体力推移とトレーニングの影響」(杏林書院1982 総ページ数322頁)である。
子ども・中高校生、選手、中高齢者を対象とした最大酸素摂取量の測定(1970~1990年)
思春期発育期の体力・運動能力の発達には、幼児期からの運動の実施が影響することを個人別の追跡測定から明らかにした。20歳代から70歳代までの運動習慣のある人と無い人の比較を行い、ランニングの習慣をもつ人を、追跡測定した。70歳代の人では、急激な体力の低下がみられる例が見られた。90歳のランナーの測定も実施した。
その結果、有酸素能力を指標とした体力は、幼児期からの運動が大切であり、その効果は思春期発育期に顕著に表れて、ピークの高さに影響する。体力のピークは、10代後半から20歳代に現れるが、その後、この水準を超えることはなく、加齢に伴って低下する。年齢に伴う体力の低下は、体力水準にかかわらず、ほぼ同じような割合で進行するので、ピークが低い人では、年齢が早い段階で低体力状態が生じる。ピークが高い人では、高齢期でも相対的に高い水準を維持できる。
病気は、急激な体力低下を生じさせるので、病気にならないように予防することが大切である。
有酸素的体力が大切であるとされるが、最大酸素摂取量の値が必ずしも大きくなくても、健康で生きることは可能である。80歳代のマラソンランナーを測定した結果でも、最大酸素摂取量の値は、体重当たり25~35ml/分程度であり、それほど高い値ではなかった。高齢者では、最大酸素摂取量の値にあまりこだわらなくてよいのではないかという感触を持った。
高齢者を対象とした運動指導教室での指導
1980~1990年、愛知県厚生年金会館にて年金受給者対象の運動指導教室の指導者として、
この期間500名の高齢者を指導した。医師、保健師、管理栄養士、運動指導者がチームを組んで、高齢者の健康増進を図る我が国最初の試みであった。
このプロジェクトは、東京学芸大学の小野三嗣教授(医学博士)の発案によるもので、画期的なものであり、毎年、高齢者の指導に関する研究・研修会も行われた。その後、厚生年金事業財団(厚生団)の組織改編や、厚生年金センターの民間へ移行などがあり、事業は廃止された。
この指導を通じて、高齢者のトレーニングの可能性や、あるべき健康づくりの方法、運動の方法について、新しい工夫が必要であることを感じた。
スポーツ科学の研究と「十坪ジム」との関係はどこにあるのですか?
日本陸上競技連盟科学委員長(1989~2004)として、オリンピックを目指した選手の強化にあたった。マラソンの暑さ対策、高地トレーニング、医科学サポート活動に従事したが、短距離種目の強化にも力を入れた。バイオメカニクス研究班を組織し、当時世界記録保持者であったカールルイス選手をはじめ、世界一流選手の走技術の分析にあたった。その結果、世界一流選手では、脚全体をすばやく動かしており、そのような動作をするためには体幹深部にある筋群を有効に働かせることが必要であることに気付いた(1992年頃)。
そのことを多くの人が体験できるように、『足が速くなるマシン』(スプリントトレーニングマシン)を開発した(1995年)。その後、車軸移動式パワーバイク、和船漕ぎマシン、アニマルウォークマシン、大股ストレッチマシンなどを開発した。
東京大学生涯スポーツ健康科学研究センターや静岡県総合健康センターで、認知動作型トレーニングマシンを用いて、トレーニング実験を行い、認知動作型トレーニングが、体幹深部筋の(インナーマッスル)の代表である大腰筋の肥大を導くことを明らかにした。
5年間の追跡測定の結果、高齢者の健康増進に有効であり、特に歩行能力の改善に有効であることを明らかにした。また、近赤外光酸素化動態モニター装置(fNIRStation 島津製作所)を用いて、運動中の脳内活動の様子をモニターし、認知動作型トレーニングマシンは、脳内の活動を促すことが明らかになった。認知症の予防にも有効であることが期待される。
まとめ
「十坪ジム」でのトレーニングは、身体を有効にトレーニングすることによって、「脳」と「身体(からだ)」と「こころ」のバランスを整え、生活行動や身体活動、運動能力を高めることができる。
すなわち、「脳」とは、神経系調節機能、認知機能を指す。「身体(からだ)」とは、運動器官、内臓、血管、感覚器官などの機能を指し、「こころ」とは、意欲、生きがい、社会性を指す。
「十坪ジム」は、高齢社会において、多くの人にとって心身の健康を保持増進させ、健康寿命を延伸させる効果を持つと考えられる。
以上(2017・12・25記)