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高地トレーニング 低酸素 マシントレーニング

静岡産業大学スポーツ健康セミナー第17回の全体テーマは、高地トレーニングとマシントレーニングであった。小林は、「高地トレーニングのこれまでとこれから」と題して歴史的な内容をふくめて総括的な話をした。ここでは、小テーマづつ区切りながら、これまで小林が取り組んできた研究内容を軸として話を進める。
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日本では、1998年から毎年高所トレーニング環境システム研究会主催の「高所トレーニング国際シンポジウム」が開催されてきている。2019年には、第22回シンポジウムが長野県東御市で開催された。米国では、アメリカオリンピック委員会(USOC)主催の国際高地トレーニングシンポジムが2年に一度開催されており、2013年のシンポジウムに小林は招待講演者として、我が国の高地トレーニングの歴史と現状を紹介した。そのプログラムは次のようなものであった。
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2013年には、日本でも第17回高所トレーニング国際シンポジウムが岐阜県御嶽高地トレーニングセンターで実施され、小林は、アメリカでの発表内容を紹介した。
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1990年からマラソンのメダル獲得に向けた高地トレーニングと暑さ対策研究が、日本陸上競技連盟科学委員会を中心に実施され、その成果は、1991年世界選手権東京大会での谷口浩美選手の金メダル、山下佐知子選手の銀メダル獲得を皮切りに、バルセロナオリンピックでの有森裕子選手、森下公一選手の銀メダル、アトランタオリンピックの有森選手の銅メダル、シドニーオリンピックの高橋尚子選手の金メダル、アテネオリンピックの野口みずき選手の金メダル、という成果に結びついた。
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1990年のコロラド合宿では、アメリカ陸連のジョー・ヴィーヒル博士の指導を受けて、アラモサ(標高2300m)で6週間の高地トレーニングを実施した。
1週目は順化期、2~5週目は主要トレーニング期、6週目は回復および平地帰還のための調整期という考え方である。
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高地トレーニングが有効であるか否かという論議は多くあり、その生理学的な理論と実際効果については研究が続けられている。効果があるという主な見解は、血液中のヘモグロビンが増加し、酸素運搬機能が向上するという事である。血液中の動脈血酸素濃度(SpO2)が低酸素状態になると、腎臓からエリスロポエチンが分泌され、赤血球の増加を促進する。心臓循環の反応では、心拍出量の増大、毛細血管の拡張があり、末梢では酵素活性の向上など、様々な要因が関与して、最大酸素摂取量を増大させると考えられた。岐阜県飛騨御嶽高地トレーニングエリアは、標高1300mから1800mの練習環境にあり、標高が高いところでは2200mでのランニングも可能である。それらの標高が、世界の高地トレーニング場との関係、および酸素濃度環境の位置づけを示すために、図中に緑色のラインを表示した。
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1990年にコロラド(男子アラモサ標高2300m、女子ガニソン標高2350m)で6週間の高地トレーニング合宿を行った時の1週目ごとのヘモグロビンの変化を示したものが下図である。高地合宿では必ずヘモグロビンが増加するとは限らず、激しいトレーニングをする場合には増加があまり見られず、練習が軽かった選手ではヘモグロビンの増加が順調であった。また、最初の1週間は元気であったが、その後体調がすぐれない選手も見られ、ヘモグロビンの指標だけでは十分ではないことが明らかとなった。
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高地トレーニングが6週間を必要とすることになると、非常に長期間である、多くの選手にとっては実現が難しいと考えられる。国内に高地トレーニング場を作っても6週間の滞在が必要となると限られた人しか利用できない。コロラドでの選手の様子を観察すると、最初の1週目は元気な人が多かったことから、1週間以内の短期高地合宿でも効果があるのではないかと考えた。そこで、最短の日数として3泊4日の高地トレーニングプログラムを企画し、その効果を検証する目的で、富山県立山の天狗平付近(標高2300m)から室堂トンネル(標高2450m)を舞台に高地トレーニング研究を実施した。
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その結果、3泊4日の高地トレーニングでも、トレーニング後では、血中乳酸濃度、心拍数やRPE(自覚的運動強度)に変化がみられた。この3泊4日の高地トレーニングは、対象グループを変えて、2年簡に4回実施したが、いずれもトレーニング後ではトレーニング効果と考えられる変化があり、スポーツ成績にも向上がみられる例が少なくなかった。
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富山県立山での短期高地トレーニング研究に引き続いて、岐阜県飛騨御嶽チャオスノーリゾート(標高1800m)でも同様の高地トレーニング研究を行った結果、血中乳酸濃度、運動中心拍数、動脈血酸素飽和度(SpO2)Oの指標のいずれにも、トレーニング後では比較的低い速度のランニングから高速のランニングにかけて、いずれも運動負荷が相対的に軽くなっている様子が見られた。このことから、短期間の高地トレーニングでも効果があり、国内に高地トレーニング施設をつくる意義があることを確信した。特に血液乳酸濃度は、高地トレーニングによってランニング中にはトレーニング前よりは途中経過では低い水準になるという現象がみられる。
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岐阜県では、飛騨御嶽(標高1300m~1800m および2200m)に本格的な高地トレーニング施設を開発する計画を立て、)プロジェクトを推進させることになった。
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高地トレーニング施設起工式には、高根村村長中井勉氏(写真中央)、岐阜県県会議員中村氏(写真左端)、小林寛道(写真右端)が関係者と参加している。
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高地トレーニング施設の整備は、全天候用400m走路を備えた陸上トラックが、オケジッタ地区(標高1300m)日和田ハイランド競技場、および濁河温泉地区(標高1700m)御嶽パノラマグラウンドが建設された。
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高根村小学校が廃校となった後、校舎とグラウンドを高地トレーニングセンター(標高1250m)として、低酸素テントを設備したトレーニング施設に改造された。
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飛騨御嶽の濁河地区にあった「県立青少年自然の家」が閉鎖された後、高地トレーニングの合宿施設として再利用化が図られた。
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濁河地区の高地トレーニングセンターには、KKラボという名称のトレーニングルームが設備され、認知動作型トレーニングマシンとともに、低酸素トレーニング室も設置された。
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2018年の北京世界陸上選手権大会の準備調整期には、アメリカのナイキオレゴンチームが合宿に訪れた。5000m、10000mに優勝したイギリスのファラー選手や、後にマラソンで日本記録を樹立した大迫傑選手も同じチームでトレーニングしていた。
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一般市民ランナーを対象にした飛騨御嶽ハーフマラソン大会も開催された。第1回、第2回大会のスターターは小林がつとめた。
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低酸素トレーニングは、低酸素を吸入しながら運動したり、低酸素室でトレーニングするトレーニング法で、1995年頃から開始された。もともとは、滞在型の低酸素ルームがフィンランドのルスコ博士によって開発され、アルプスルームと呼ばれた、アルプスルームは、室内空気に窒素ガスを混入するものであった。その後、空気中の酸素を分離する酸素分離膜が開発され、低酸素濃度の空気を室内に取り込む形の低酸素ルームが作られるようになった。
低酸素ルームの中で運動することは、1998年12月に東京大学駒場キャンパスに「低酸素環境走路」が世界に先駆けて建設され、2001年には、国立スポーツ科学センターに低酸素宿泊室やトレーニング室が作られ、低酸素環境でのトレーニング研究もおこなわれるようになった。
低酸素環境室でトレーニングすると、持久的な能力が高まることが実証され、山岳関係の人にも多く利用されるようになった。
飛騨御嶽高地トレーニングセンターにも低酸素トレーニング室が設けられ、標高4000m付近に相当する酸素濃度でトレーニングすることも珍しくなくなった。
低酸素環境で運動すると、動脈血酸素飽和度(SpO2)が85%付近まで低下することによって、様々な低酸素に対する生理的反応が生じる。その一つとして、運動強度が高くなっても血管収縮が生じにくくなる効果が、持久力の増加させる形で現れることが指摘されている。
近年では、低酸素環境でのトレーニングは、持久的なロウパワー発揮の運動だけでなく、短時間のハイパワー発揮の運動能力を向上させることが確かめられている。
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鹿屋体育大学の低酸素ルームでは、冒険家の三浦雄一郎氏が山本正嘉教授の指導のものとトレーニングを実施し、80歳でのエベレスト登頂に成功している。下の写真は、三浦雄一郎氏が、父の三浦敬三氏(99歳)、息子三浦豪太氏とともに、鹿屋体育大学の低酸素ルームで撮影した珍しい写真である
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この稿は、これで終わりです。