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最速走法を養成するトレーニングマシンの発想

最速走法を養成するトレーニングマシンの発想
                    
                         小林寛道

はじめに

陸上競技の短距離走の世界では、黒人選手が圧倒的な強さを誇っている。一般的な感覚として、基礎的体力が低い日本人にとって、短距離種目で世界のトップを目指すことは無理ではないかと思われてきた。しかし、伊東浩司選手、朝原宣弘選手、末續慎吾選手のような先駆的スプリンターたちの出現によって、日本の短距離界は明らかに世界のトップ水準に近づきつつある。
こうした競技力の向上と日本人選手の全体的な短距離能力向上の背景には、選手本人の素質と努力とともに、選手を支える環境が整ってきたことが挙げられる。選手を育てる環境のうち、科学的な知見やものの見方、科学的トレーニング方法が根付いてきたことが大きい。
これまで外国のコーチの指導をもとにトレーニングが組み立てられてきたが、近年では日本独自のトレーニング法や技術上の工夫が行なわれるようになってきている。
スポーツの世界では、それぞれの選手が個性的な要素を発揮することから、強い選手が出現するたびに、スポーツの技術論がくるくると変わり、わが国では、きちんとした理論にもとづいてトレーニングが積み上げられるという過程がやや脆弱であった。
カール・ルイス選手についてのバイオメカニクス研究により走技術の特徴が捉えられ、その要素を取り入れようとしても、実際には思うようにいかない場合が多い。世界一流選手の走技術を日本人に当てはめようとしても、科学的知見とスポーツ現場では何かと意見の相違が生じる場合が少なくない。
カール・ルイス選手がいかに優れた選手であっても、その強さはカール・ルイス選手の素質から生じるものであって、必ずしも走技術が理想的なものであるとは限らないと考えることも可能であるからだ。
そこで、走動作の基本的な動作原理がどのようになっているかを科学的立場から詳細に認識することが大きな意味を持つことになる。
1989年当時から2003年3月までの14年間、日本陸上競技連盟科学委員会委員長として、陸上競技のバイオメカニクス研究を推進してきた小林寛道は、科学的研究成果を誰もが「共通体感」として実体験でき、走技術に関する科学的普遍性を体得できるトレーニング手段として、走動作技術を学習できるトレーニングマシンを開発できないものかと思い立った。

スプリント・トレーニングマシンの開発

カール・ルイス選手の走技術をいろいろと分析しているうちに、ある考えが浮かんだ。それは、カール・ルイスを超える走技術を考えていく必要があるということだ。
速く走るということを目的にした場合、最も素早く移動できる運動様式は何であろう。ものごとの原理として、もっともスムーズで、はやく移動できるものは車輪である。そこで、車輪、すなわち「円運動」を基本にした走技術が成り立たないかを考えてみた。
円運動が可能な運動の様式は自転車のペダリング運動である。自転車ではペダルアームの回転軸が一定の位置にとどまっているため、ペダルアームは完全な円運動を行なっている。走動作を考えた場合は、自転車のペダリングではストライド(歩幅)がでない。
そこで、自転車のペダリング運動を行なう際に、ペダルアームの回転軸が、足の回転にあわせて前後に動くような装置にした場合、円運動を基本とした走運動動作が可能になるのではないか、と考えた。
2台の固定式自転車エルゴメータを並列に並べて、左右別々の自転車のペダルに足をのせ回転させてみると、ペダリング動作を基本とした走動作を行なうことが可能であることがわかった。そこで、文部科学省の科学研究費補助金を頂いて、1992年から試作機の作成に取り掛かった。

スプリント・トレーニングマシン第1号機

1995年に完成したスプリント・トレーニングマシン第1号機は、基本的に、①クランク、アーム、ペダルをとりつけた移動式台座(左右一対・右脚用と左脚用)、②ペダル負荷装置、③台座移動動力装置、④制御装置、⑤手すり、からできている(図1)。

画像


 トレーニングする人は、右脚用と左脚用の移動式台座に取り付けられたペダルの上に乗って立ち、足部はベルトでペダルに固定される。移動式台座は動力を用い、調節可能な一定速度で連続的に前後往復運動を繰り返すが、右脚用と左脚用の移動式台座は中央部位で交互にすれちがうタイミングで移動する。トレーニングする人は手すりにつかまり、往復運動を繰り返す移動式台座の動きに合わせて、両足のペダリング運動を行う。
ペダリングでは、移動式台座が前方から後方に移動するタイミングに合わせて踏み込み、移動式台座が後方から前方に移動するタイミングに合わせて、ペダルを後方から円の軌跡を描くように、前方へ引き戻す。
ペダルをとりつけたアームが踏み込み脚の前方水平位から低い運動範囲ではペダルの回転に抵抗負荷がかかり、垂直下位から後方の運動範囲では、無負荷となる。すなわち、抵抗負荷がかかる運動範囲では、着地および体支持とキックにかかわる筋力発揮を行い、脚を前方に引き戻すときには、通常の走動作の場合と同様に負荷のかからない状態をつくることを可能にしている。
このペダル踏み込み式運動動作をトレーニングしてみると、多くの人がペダルを踏み込むことはできるが、スムーズに後方から前方に脚を戻す回転運動を行うことが出来ない。後脚を前方に戻すときにペダルが引っかかってしまうのである。
これは、後脚側の腰を高く引き上げる動作を加えることによって解決することができる。ペダルをスムーズに回転させることが出来れば、円運動を基本とした走動作が可能となるわけである。しかし、多くの人にとってそのことはなかなか難しい。しばらくトレーニングするうちにペダルの回転がスムーズに行なわれるようになり、次々と驚くような成績の向上が得られるようになる。

たとえば、①東大陸上部のT.I.選手は100m11秒5以下の記録に終始していたが、スプリント・トレーニングマシンの使用を加えたトレーニングによって、10秒9に自己記録を向上させた。②東大陸上部のY.K.選手は大学入学時400m49秒台であったが、スプリント・トレーニングマシンを導入することによって、約6ヶ月後に400m47秒74と自己ベスト記録が改善した。③女子800mのS.S.選手は、高校2年生からスプリント・トレーニングマシンを導入し、1年間で自己記録が2分22秒から2分12秒へと短縮した。④東大陸上部のN.T.選手は高校時代5000m15分00秒であったが、入学直後からスプリント・トレーニングマシンを導入し、3年生春には14分03秒にまで自己記録を向上させた。⑤66歳からスプリント・トレーニングマシンを開始したS.T.氏は、69歳で出場した第15回マスターズ陸上世界大会で、400mに優勝し、100m2位、200m2位となった。
女子800mのS.S.選手は、その後順調に記録を伸ばし、全日本学生選手権大会で1500m、5000mに優勝し、実業団に入ってオリンピックを視野に入れたトレーニングを行なっている。また、スプリント・トレーニングマシンを用いて、急速に実力を伸ばした早川英里選手が、2003年ホノルルマラソンに日本人として始めて優勝し、世界のトップを目指してトレーニングを行なっている。
短距離での記録向上を目的として開発したスプリント・トレーニングマシンは、走技術の基本を身に付ける効果を持つことから、長距離、マラソンにも大きな効果をもたらす結果がでてきている。
なぜこのような飛躍的な走記録の改善が見られるのか、その理論についてもう少し詳しく触れてみたい。

走運動の足の軌跡

 人間の走運動(スプリント走)における一流選手の腰、膝、足部(くるぶし)の運動軌跡を側面から大転子(股関節)を基準点として描いてみると図2のようになる。

くるぶしの軌跡


区間ABは振り下ろし期、区間BCは接地期、区間CDは蹴り上げ前期、区間DEは蹴り上げ後期、区間EAは振り戻し期にあたる。通常の走動作では、接地期において、接地前期は着地動作、中・後期はキック動作が行われる。
足首(くるぶし)の運動軌跡は、後半部分は円運動に類似であるが,前半部分は円運動の軌跡とはとらえにくい。前半部分も円の運動軌跡に近づけるためには,くるぶしの軌跡が情円型の形状をもつようにならなければならない。このことを可能にするには,図の中で固定点として描かれている大転子(股関節)の位置を動かすことが必要である。
すなわち,足の動きにあわせて,股関節の位置を前方斜め上方向に移動させることによって,足の運動軌跡を円運動を基本としたものに改変することができる。
 股関節の位置を動かすということは、骨盤を動かすことである。そこで、走運動動作において骨盤をどのように動かすことが有効であるかが問題となる。研究を進めていくうちに,骨盤は腰椎の働きと一体化しており,骨盤と腰椎および脚(大腿骨)との関連が重要であることがみえてきた。
身体の大黒柱ともいうべき脊柱には,身体の構造を支えるさまざまな筋群が付着している。脊柱の腰椎から起って骨盤内を通り,大腿骨の小転子と結びついている大腰筋と呼ばれる筋がある。骨盤の腸骨稜など広い範囲から起って,大腰筋と一体となり,大腿骨の小転子や骨体に付着している腸骨筋が,大腰筋とともに脚の運動に極めて重要な役割をもっていることがわかってきた。大腰筋と腸骨筋は総称して「腸腰筋」と呼ばれているが,これらの筋群は,体幹の深部に存在することから,「体幹深部筋」とも呼ばれる。
体幹深部筋は,走運動の成績と密接な関係をもち、大腰筋の横断面積が大きいほど,スプリン卜能力が高いという報吉がなされている。すなわち大腰筋が太いほど走るのが速いという傾向が強く、大腰筋などの体幹深部筋を有効に働かせることができる走技術を骨盤・腰椎の有効な動きとして工夫することが大きな鍵を握っていると考えられる。

膝・腰同側動作の有効性

スプリント・トレーニングマシンを用いて,足が楕円軌道を描くように回転させるためには、膝と腰を同じ方向に動作させることが最も基本的な要素となる。この動作を「膝・腰同側動作」と呼ぶことにする。
通常われわれの歩行や移動運動の神経支配は、右手左足、左手右足の組み合わせで動き易いようになっている。これを「斜体側肢交差型」の動作というが、スプリント・トレーニングマシンのペダルを上手に回転させるためには、「斜体側肢交差型」の神経支配ではなく、「同側肢動作型」の神経支配に切り替える必要がある。
「同側肢動作型」とは、歩くときに右手右足、左手左足の組み合わせ動作を行う神経支配に基づく動作を意味する。「同側肢動作型」は、「なんば歩き」と称して昔の日本人が用いていた歩き方であるとされているが、武道の技やダンスなどでは頻繁に使われる神経支配である。
走動作に「同側肢動作型」を利用するメリットは、足を前方に振り出して着地するとき、膝と一緒に腰を前方に移動させれば、地面から受けるブレーキが少なくなり、しかも歩幅を大きくとることが出来る。
またスピードが出たときの腰の乗り遅れが起きにくい。ただし、走動作の場合、上肢と下肢の完全な「同側肢動作型」を用いず、同側の膝と腰を前方に運ぶ「膝・腰同側動作」を用い、腕振りは通常に行なうことが効果的である。
腕振り動作に伴う身体の捻り動作は、通常腰の高さで行なわれるが、「膝・腰同側動作」の場合は、上体をひねる位置がみぞおちの高さとなる。スプリント・トレーニングマシンでは、「膝・腰同側動作」を基本とした走動作の身体バランス感覚がトレーニングされ、このことがランニングパフォーマンスの著しい向上を導く結果を生んでいる。
こうした運動動作の神経支配を改造するようなトレーニングは、ある人にとっては比較的容易であるが、新しい神経支配の回路を作り出すことに非常に時間がかかる人もいる。しかも新しい神経支配は、しばらく繰り返してトレーニングしなければいつの間にか消えてしまう。
好ましい運動神経回路を形成し、それを繰り返してトレーニングすることによって、新しい神経回路は定着する。そのような意味で、動作学習の要素を持ったこの種のトレーニングマシンは「認知動作型トレーニングマシン」と呼ばれている。

車軸移動式スプリントパワーバイク(自転車型スプリント・トレーニングマシン)

スプリント・トレーニングマシンは、走動作学習機能を持ったトレーニングマシンであるが、筋力や筋パワーをトレーニングするマシンとしては十分ではない。
そこで筋パワーアップを目的とした固定式自転車型の「車軸移動式スプリントパワーバイク」を開発した。このトレーニングマシンはペダルアームの回転中心軸が、ペダルアームの回転に同期して水平前後方向に約30cm程度移動する構造を持っている。
この自転車型トレーニングマシンは、ペダルを踏み込む動作範囲では、ペダルに強い抵抗負荷がかかり、後方から前方にペダルを戻すときには、抵抗負荷がかからないように設計されている。
ペダル踏み込み動作は、全体重がかかるように立ち漕ぎ姿勢で行なう。この時、脚力のみに頼ってペダルを回転させようとすると非常に大きな力の発揮が必要になり、すぐに疲労してしまう。しかし、自分の体重や体幹筋群の力を有効にペダル回転に作用させることが出きれば、強い抵抗負荷に打ち勝ってペダルを力強く連続回転させることが出来る。
抵抗負荷がかかったペダルの上に足を乗せ、その足の真上の位置に膝が来るようにし、さらに足と膝と腰が垂直な回転平面上で作用できるような姿勢条件をつくり、ペダルの踏み込みを行なう。このような動作姿勢でトレーニングすることにより、脚力はもとより、大腰筋などの体幹深部筋群をトレーニングすることが可能である。
右のペダルを踏み込んだときには、右手、右肩も右脚と同じ方向に移動させるようにする。この動作が可能なように、「車軸移動式スプリントパワーバイク」では、ハンドルが自由に回転するようになっている。右または左の縦半身の力を完全にペダルの回転に集中させるためには、「膝・腰・腕の同側動作型」運動がなされる必要がある。
ペダルを回転させる力を計測してみると、「膝・腰・腕の同側動作型」運動をトレーニングした人では、明らかに「斜体側肢交差型」のペダリングよりも強いパワーを発揮することが出来るようになる。

高速トレッドミルでの走動作トレーニング

スプリント・トレーニングマシンでは、比較的ゆっくりした動作でトレーニングする。動作を学習する場合にはゆっくりとしたタイミングで行なうことが効果的である。
新しい動作や、慣れない動作を行なうときには、ゆっくり動作しながら考える時間を持つことで、新しい神経回路が形成されやすい。はじめから動作速度がはやすぎると動作にごまかしが生じる。
したがって、ゆっくりした動作で、微妙な感覚、知覚を充分意識しながら動作の神経回路を形成することが結局は早道となる。ところが、ゆっくりした動作で学習したものは、そのまま直ぐにはやい速度で生かされることが難しい。
そこで、ある程度スプリント・トレーニングマシンで動作の学習が出来たら、神経回路がフレッシュなうちに、トレッドミル(ベルト回転式走行装置)で高い速度でのランニングを行なう。短時間でもよいから、できるだけ高い速度まであげて走ると良い。
通常のトレーニングジムに設置してあるトレッドミルは、最高時速16~20km程度までであるが、最高時速36kmまで可能な「高速トレッドミル」を用いて素早い脚の動きを神経刺激としてトレーニングする。こうした高速でのトレーニングは、昔から、坂道の駆け下り、や牽引走などの方法によって行なわれてきたが、高速トレッドミルを用いる方法は極めて効果的である。

低酸素環境室を用いた持久力トレーニング

長距離、マラソンなど持久的能力が必要なスポーツ種目では、低酸素環境室の中でトレッドミルランニングを行なうとよい。低酸素環境室は、通常の気圧で酸素濃度の調節ができる装置が使いやすい。
低酸素の濃度は、慣れないうちは標高2000m程度を目安とするが、慣れてくれば標高3000m(酸素濃度14.5%)程度で30~60分間のランニングが可能となる。
諸外国では、低酸素環境は滞在する目的で利用されている場合が多いが、わが国では、1960年代から、低酸素を吸入してトレーニングする方法が研究されてきており、現在では、スケート選手、登山家、陸上選手などが低酸素環境室を用いた積極的なトレーニングを行い、成果を挙げている。

認知動作型トレーニングシステム

スプリント・トレーニングマシン、車軸移動式スプリントパワーバイク、高速トレッドミル、低酸素環境室、などのトレーニングマシン及び装置は、それぞれランニングパフォーマンスを高めるための一連のオリジナルなトレーニング方法に関するもので、これらを総称して「認知動作型トレーニングシステム」と名づけている(図3)。
認知動作型基本的走動作の習得の図

認知動作型トレーニングシステムによるランニング能力向上の要素は次のようである。

1.スプリント・トレーニングマシンによって、走動作を脚の円運動から成り立たせ、「膝・腰同側動作型」の動きを身につける。
2.スプリント・トレーニングマシンによって、着地時から接地足に体重を完全に乗せきるトレーニングを行うことにより、「着地」、「体重支持」、「キック」の局面において、効率の良い走動作ができあがる。
3.「着地を重心のやや前方または真下で行なう」、「キック力に体重を生かす」、「左右の足先を常に平行に進行方向に向けて走る」といったことが、基本の動作となるが、このことを実現させるためにスプリント・トレーニングマシンによって、骨盤や体幹部の柔軟なひねり動作を生かしたバランス能力がトレーニングできる。
4.筋力の強化を理想的なトレーニング動作でおこなう。車軸移動式スプリントパワーバイクによって、とくに体幹深部筋(大腰筋、腸骨筋、内転筋など)の強化を図る。
5.動作技術のトレーニングは、ゆっくりした動作で、新たな神経回路を形成し、高速トレッドミルを用いてはやい動作でも神経回路が機能するようにトレーニングすることが効果的である。
6.持久的能力を高めるために、低酸素環境室内でのランニングを行う。


参考文献
小林寛道:スポーツ認知動作学の挑戦1.ランニングパフォーマンスを高めるスポーツ動作の創造. 杏林書院 2001
(この文章は、2007年に執筆したものです)(掲載日2017年4月5日)