1. HOME >
  2. 自伝的「健康とスポーツの科学」連載「月刊私の世田谷」より >
  3. 第11回 幼児の最大酸素摂取量

第11回 幼児の最大酸素摂取量

第11回
幼児の体力の追跡的研究

登場する人 <坂本 清> <大西末野> <中村好明> <長井芳幸> <東キヨ>

1980年から毎年の春(3月)と秋(10月)に、測定対象となった5か所の幼稚園や保育園に測定機器を運搬して、継続的な研究が行われた。3年間の継続測定の結果、幼児たちの最大酸素摂取量には、教育の内容がよく反映されることが明らかになった(図1)。最大酸素摂取量の値が最も大きかったのは、浜松市のあすなろ幼稚園の園児たちで、毎日の浜辺でのランニングが大きな効果を持っているようであった。3月の寒風の中でも、上半身裸で園庭で元気にボールゲームなどをして遊びまわる園児たちの様子は、防寒用のダウンジャケットを着込んで立ちふるまっている測定班の学生たちとは対照的であった。あすなろ幼稚園の坂本清園長は、幼児教育に対して、強い教育理念を持っている方で、幼稚園の若い先生に対してもしっかりとした教育をされており、真冬でも先生全員がTシャツ1枚の姿で、園児たちの教育にあたっていた。
久居市のすぎのこ保育園では、あすなろ幼稚園と同様に、年間をとおして上半身裸で暮らしているが、日常の教育内容は、しつけ教育に主眼が置かれており、毎日の渡り廊下や教室の雑巾がけ、トイレ掃除、園庭での運動、夏の素っ裸でのプール遊び、冬季には2kmのマラソンが日課として入っていた。マラソン大会も行われている。すぎのこ保育園の園児では、10月から3月にかけての最大酸素摂取量の伸びが大きく、冬季マラソンの影響が大きいように思われる。大西末野園長は、奈良女子高等師範学校(奈良女子大学の前身)の出身で、教育に情熱を持っておられ、私が、上体起こし(腹筋運動)の能力が低いということを述べると、さっそく「腹筋に取り組みます」といわれた。6か月後の測定に訪れたときには、園児たちはまるで元気な魚が床の上で跳ねまわるような勢いで腹筋運動を行い、我々を驚かせた。不思議なことに、どの園児たちの腹筋も、上体起こしの動作をするときに、スポーツ選手の腹部のように腹筋がこぶ割れて盛り上がっていた。また、鉄棒の両手ぶら下がり時間では、6分間以上持続できる子どもが数多くいた。我慢比べのような測定項目であるが、すぎのこ保育園の子どもは我慢強かったことが印象的である。
これとは対照的に、指導的な体育活動を行わずに、園児たちの自然な遊びの活動を重視している三重大学教育学部付属幼稚園の園児たちでは、最大酸素摂取量の値が測定集団の中で最も低く、3歳から6歳にかけての発達の様子も少なかった。幼児教育には、文部科学省の幼稚園教育要領があるが、1990年にはそれまでの幼稚園教育要領が大幅に改定され、幼児期には自由な遊びの活動を大切にして、それまで行われてきた幼児体育としての保育内容を行わない方針がきめられた。環境を整え、「見守り教育」を重視するということになったが、教育現場ではかなりの戸惑いも生じた。三重大学教育学部付属幼稚園では、そうした教育内容がいち早く取り入れられており、それは現在の幼稚園教育要領の内容に即したものであった。
飛騨高山のフィールドアスレチックで遊ぶ高山短大付属幼稚園の園児たちの最大酸素摂取量の値は、三重大学付属幼稚園児の値とほぼ同じで、長い冬の期間の外遊びがあまりないようにも思えた。高山の中村好明園長は、小学校の校長先生を退職した方で、音楽の専門であったが、音楽と体育の教育が子どもたちには大切だという教育観を持っておられた。
三重県北牟婁郡紀伊長島町の子どもたちのほとんどは、修学前1年間、ただ一つある町立長島幼稚園に入園する。1979年に長井芳幸園長が就任して、身体活動を重視した園児の教育が展開された。長井先生は、三重大学教育学部体育科の第1期卒業生であり、体育教育に情熱をもった熱血漢である。長島幼稚園の園児の小学校就学直前(3月)の測定結果は、久居市のすぎのこ保育園児とほほ同じレベルであった。
これらの測定結果から明らかになったことは、幼児期の身体活動や運動遊びは、幼児たちの体力や運動能力の発達に大きな影響を持っているということであった。この幼児期の運動が、その後の子どもたちの体力や運動能力の発達にどのような影響をもたらすかについて、その後さらに10年間にわたって追跡測定を実施した。