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走る科学 大修館書店からの出版

 「走る科学」(大修館書店1990年初版出版)に関して 

1990年に「走る科学」という本が大修館書店から発刊された。スポーツ科学ライブラリの3巻目で、監修者が宮下充正、編著者が小林寛道、共著者が山下文治となっている。

この著作は、大修館書店の読者サービスとして毎月発刊されていた「月刊 保健体育教室」という小冊子に連載されていた「走の科学」をベースに執筆されたもので、特徴は巻末に示された文献が、小林の執筆分で431件あることである。
今日では、文献検索のコンピュータがあるので、この程度の文献量は、キーワードを検索することで容易に引き出すことが出来るかもしれない。しかし、文献検索のコンピュータがない時代には、一つずつ原論文にあたって収集しなければならない。そして、これらのコピーや別刷りを大切に読み解いて、内容の分類や位置づけを行うことが、研究者としての基本的な態度である。
私は、この本に掲載した引用・参考文献にはすべて当たり、その論文の内容を他の人の記述した引用文から孫引きすることなく、すべて本文を読みきっている。当時手に入る「ランニングに関する研究」の論文をすべて網羅するという意気込みで収集しているので、1990年以前までの論文はほとんど収録されているのではないかという自負心を抱いている。
事実、収集と読了に10年の歳月をかけている。10年間の勉強の結果が、実はこの本1冊なのである。こんなにじっくりした勉強のやり方をしていたのでは、今の若い人たちにはそぐわないと考えられる。
しかし、そうした時間をかけ、ある意味では一歩一歩進むやり方もいいのではないかと思う。もちろん、この期間には、同時並行的にいくつもの実験や仕事を行っているのであるから、10年という歳月は経っていても、実質的にかけた時間はそれほど多くはないのかもしれない。

「走ることの様式」題した章では、ギリシア時代から現代までの人間の走ることの歴史、動物の走りと人間の走りの比較をおこない、第2章では走ることの力学的基本を、走動作をキネマティック(映像的)分析と力学的分析にわけて説明している。走動作をキネマティックに分類すれば、接地期と滞空期に分かれ、接地期はさらに着地層、支持層、キック層に分けられる。滞空期は、フォロースルー相、前方への移動相、振り下ろし相、に分けられる。
 1986年当時、100m走の日本記録保持者は、不破弘樹選手の10秒34、女子では小西恵美子選手の11秒74であった。キネマティック分析によると、外国一流選手と比較した、日本のスプリンターは身体重心の後方でキックし、脚があまり前に出ないフォームで走っている。
一般に、日本のスプリンターや指導者のなかには、脚を後方でしっかり伸ばし、地面をキックすることが強い推進力を生み出すと考えてキック動作を重視する人がいるが、それでは脚の動きが身体重心の後方に取り残されるかたちになり、脚が前方に素早く大きく運び出されなくなってしまう。
世界一流スプリンターの動きは、足先が身体重心に対してあまり後方に残らず、しかも鋭く大きく運ばれていることが特徴的であることを指摘している。

 第3回世界陸上選手権東京大会が開催されたのは、1991年であるから、すでにそれ以前の1990年に発行された「走る科学」では、日本選手のトレーニングに問題があることを指摘している。そのほか、日本選手と外国一流選手との比較が下肢の関節角度の動きを中心に様々になされている。さらに、疾走速度の分析、ピッチとストライドからみた走様式の特徴が述べられている。
力学的分析では、キック力の測定、靴底にかかる力、機械的エネルギー、効率、空気抵抗、ランニングシューズ、走路についての研究結果が詳細に示されている。
走ることの生理学では、主動筋の活動様式、関節の動きと筋活動、脚伸展筋力と脚屈曲筋力の比較、神経系の調節、筋線維タイプ、アネロビックパワー、最大酸素摂取量、体温調節、について解説され、「走ることの指導の科学的基礎」についての章では、発育発達の視点や、主として生理学的視点から走運動の指導にとって留意すべき内容が記述されている。
 後に、この「走る科学」に掲載することが出来なかった古典的な研究内容について、「走るの古典的研究」と題して「体育の科学40巻10号」、(1990年)に掲載する機会を得た。

「走る科学」には、当然のことながら、その後行われた日本陸上競技連盟バイオメカニクス特別研究班の活動内容は含まれていない。こうした「走る科学」の執筆を通じて、実際の競技場面におけるバイオメカニクス研究がいかに説得力を持って競技力の向上に役立つかを思い知らされたのである。
 すでに1991年の世界陸上選手権東京大会の開催が決定されていた。 陸上競技の世界一流選手があつまる東京で、バイオメカニクス研究を行うチャンスを逃すわけにはいかない。そのための準備を行わなければならないと思い、日本陸上競技連盟の佐々木秀幸先生に相談した。
佐々木先生は早稲田大学の教授であり、科学的な活動にも理解がある。幸いにも佐々木先生は国際陸上競技連盟の主催する世界陸上選手権大会の日本側事務局の担当であった。佐々木先生を通じて、歴史的なバイオメカニクス研究の助走が始まった。
 
(この文章は、2006年に執筆したものです。1991年の世界陸上では、日本陸連バイオメカニクス研究特別版が組織され、試合の実場面での測定研究が実現した。)(2017年4月5日掲載)